今日の朝食、白米、根菜煮、冷奴、胡瓜の浅漬け



いただきます!
昨夜はスコセッシ監督の沈黙-サイレント-、鑑賞。遠藤周作の沈黙を読んだのは、もう随分昔なので内容は忘れている。でも映画はなかなかの力作でぐいぐい引き込まれる。音楽が流れないのは良いな。ただテーマとしては、ちょっと古いのかもしれない、特に日本では。何故試練を与えた神は沈黙しているのかって、それはもうかなり前から沈黙しっぱなしだからそういうものだっていう思いがあるんじゃないかねえ。日本人は、自然の中に様々な神を見出して、創造主みたいなただ1人の神様という考えは持ちにくいんじゃないかな。でもキリスト教が入ってきた頃には人々は苦しい生活をしていただろうから、神様がどんなものでも死んで天国に行けば幸せに暮らすことができるっていうそれだけで信心が生まれることだってあったんじゃないのかなあ。日本の仏教だって、南無阿弥陀仏と唱えれば仏様の力で西方浄土に行くことができて何不自由なく幸せに暮らすことができるっていう。それはキリスト教と根本的なところは同じじゃないかって思うな。貧困に苦しんでいる人々がそういう救いを求めるってのは世界中どこでも似たような仕組みがあるんじゃないかと思う。つまりはこの現実世界があまりにも酷いってことかな?ああ、この映画では主人公のパードレはついに踏み絵を踏んで、その後も日本人の妻と子を得て日本人の名前を名乗って踏み絵を踏み続けるけど、死んで棺桶に入ったときに妻は十字架を手に握らせたんだよね。踏み絵を踏み続けても、信仰心は失わなかってことなんだね。この最後は、僕はちょっと意外で、それだとただのキリスト教の布教映画になっちゃうんじゃないの?最後まで悩み苦しんだって方が深みが出たんじゃないのかなあ。それにしても、今の時代は日本では宗教は流行らないからね。そこそこ幸せに暮らせている人が多いし。新興宗教が出て来ても犯罪者集団だったり、そうでなくても詐欺みたいで胡散臭かったりするしね。でも宗教が廃れていくと、人の心も荒んでくるしね、困ったもんだなあ。あまりに現実的になっちゃうんだね。つまりは経済だ。お金が神に代わりになっちゃった。この神様は沈黙してなんかないぞ。全てを解決してくれる。そうか、宗教の神は死んで、経済の神の時代なんだね。富の配分の問題か。マルクスは神に変わるシステムを作ろうとしていたのかな。資本主義は搾取・支配のシステムだろうか。なんだかわからないけど、宗教も搾取・支配のシステムになったみたいだなあ。

朝食は、白米と根菜煮、冷奴、胡瓜の浅漬け。苗の世話をしていたら時間がなくなった。夜は河口湖。ごちそうさま。
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