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音楽のタカラモノ(166) In The Bleak Midwinter

JUGEMテーマ:日記・一般

 

やっぱり寒いのは苦手だ。静岡に住んでいてよかった。でも、あまり恵まれすぎていると、喜びも少ないんだろうなあ。ああ、気候のことだけどね。でも、人生においても恵まれすぎていると、喜びは少ないかもしれない。ただ難しいのは、恵まれているってことの内容だ。何と比べて恵まれているのか、誰と比べて恵まれているのか。金銭の事か、愛情の事なのか、物質的なことなのか。世界の貧困地域から見たら、日本の僕らは恵まれている。でも恵まれている日本にあっても、孤独に暮らしている人もいる、貧しい人もいる、お金があっても心が貧しい人もいる。比べることはできないんだろうね。恵まれているとか恵まれていないとか、そういうことを離れて、生きていることに感謝すべきだ。なんて、わかったようなことを言ってもそれは難しいこと。なんだかわからないけど、とりあえ生きていけているならそれは恵まれている方だ。だから僕は喜びが少ない訳だ。なんだか訳が分からない。感謝できる人、そこに喜びを見出せる人は幸せだ。そしておそらく、強い人だ。そういう人になれれば良いけど、僕はかなり弱い人だ。疑りぶかくて臆病で、惨めでもある。宗教はそういう弱い人に力を与えてくれると思うんだけど、何かを信じるということは出来ない性分だ。そういう人間が、日本は多いんじゃないかなあと思ったりする。

 

James Taylor - In The Bleak Midwinter

 

 

In The Bleak Midwinter ~ Dan Fogelberg

 

 

In the Bleak Midwinter (Holst) - Choir of Kings College, Cambridge

 

 

In the Bleak Midwinter (Darke) -  Choir of King's College, Cambridge

 

comments

あたしも、恵まれているのかもしれない。
生きているから。とりあえず。
この世には「運のいい人と悪い人」の二種類しかいないんだと思う。
クリスマスキャロルの季節ね。
いつごろからか、クリスマスを素直に喜べなくなったわ。
ダメな人間になりはじめたころから。

コメントありがとうございます。
運がいい、悪いで人間を分類する方法は、あまり実用的ではないような気がしますね。運って、何だろう?どういう状態をいうなかな?それがわからないと、分類できないと思います。それに他人を分類しても、自分の役には立たないし、自分を分類することもできない。分からないんだから、わからないままの自分を大切にしていれば、良いんじゃないかなあと思います。
それと同じように、ダメな人間、ダメじゃない人間って分類もどうでしょうか。ダメって何だろう?どういう状態をいうのかな?それが分からないと分類できない。自分の思うようにならないってことなら、ダメでもなんでもないんじゃないかなあ。自分の思うところに向かって歩いていけば良いと思うな。経験することはすべて自分の財産、良いも悪いもないと思います。すべての経験は心の中で発酵して、深みと安定を生み出すんだと思うなあ。ダメな人間だなんて言わないで、そのままの自分を大切にしてください。

  • s-aoji
  • 2016/12/12 1:24 PM

そうね、ありがとね。
人に言われるのよ「あんたダメね」って。
気にしないようにしてんだけど、気にする自分がいる。
ダメな部分は、誰かさんからみたら「良い部分」なのかもしれないって思いたい。
「運」はね、正直「悪いなぁ」と感じるのよ。
ほら、家族のために一生懸命頑張っててさ、近所の人の受けもよくって、そんな人が交差点で飲酒運転の車にはねられて死んじゃう…
たまんないよね。
あれって「運」がいいのかしら?

再コメントありがとうございます。
「あんたダメね」っていう人は、その人の価値観を人に押し付けているわけで、そんなことする権利はないでしょう。そういう言い方をする人はよく居ますが、よく知りもしないで無責任に言っているだけだと思われます。あなたのことを真剣に考えていないということですし、「あなたはダメね」ということで自身が優越感に浸っている訳です。あなたを下に見ているということです。そういう人は往々にして、相手に何かをさせようとしたり、支配・コントロールしようとしたりする傾向があるんじゃないでしょうか。あまり深く関わらない方がいんじゃないでしょうか。私はその方のことを知りませんので、一般的なことしか言えませんけど。「ダメな部分」って、そういうものはないんじゃないかと思います。誰かから見た悪い部分というのもないんじゃないですか。良い悪いというのは、ある物差しを当てた時に見えてくるものでしょうけど、人類共通の物差しなんてないです。個々人が勝手に作った物差しをあててるだけです。気にするっていうことは、自分が作った物差しで自分を量っているだけです。よくないと思ったら自分がいい思うように変えれば良いし、変わらないとしても、それは多分あなたにとってそうすることが必要だからそうなっているんじゃないでしょうか。それはダメなことじゃなくて必要なことなんだろうなあ。想像ですけど。あなたのことを知っているのはあなただけで、あなた以外の人は何も知らないで無責任に言っているだけなので、放っておくのが良いと思います。運というのは、人が考え出した言い訳みたいなものではないでしょうか。何か悪いことが起きたり、悪い状況になったりした時に、なぜそうなったのかを説明できない時に、運が悪いというんじゃないかなあ。逆は運が良いというし。生きていれば良いこと悪いこといろんなことが連続して起きる訳で、一つの起きたことを取り出してこれは悪いとか良いとかあれが原因だとかこれが原因だとか考えるけど、その一つに限定しないで長い目で見れば、ある時点では悪く見えるし別の時点ではよくも見える。それも、良い悪いは人間が考え出すもので、一人の人が見れば悪いことも別の人が見れば良いことであったりする。そういうものを取っ払えば、良い悪というのはあまり意味がないんだなって思うな。この世界では自分以外の人間と一緒に生きているわけだから、こっちの考えとは関係なしに突然車がぶつかってくることもあるし飛行機が落ちてくることもある。偶然そうなっただけで、運が良いとか悪いとかは持ち出さなくても良いんじゃないかなあ。後に残された人間は悲しい気持ちにはなるけど。私の母は交通事故で頭を打って脳が機能しない状態で老人ホームにいるけど、運が悪かったのか良かったのか、それは私にはわかりません。事故に合わなくても認知症にでもなっていたらどうなっていたか、その方が悪いことのようにも思える。ぽっくり死んでいたらどうか、それは家族に悲しみは残るけど本人にはどちらでもいことだ。事故にあって頭はしっかりしていて老人ホームに入っていたらどうだろうか、意地の悪い施設に入るかもしれないし他人にオムツを替えてもらって嬉しいだろうか。事故に合わなくて頭もしっかりしていたらどうだろうか、人間誰も死ぬんだから後になっても先になってもそう大きな違いはないんじゃないか、家族は悲しんでも本人は死んで仕舞えば関係ない。要は、運が良いとか悪いとか関係なくそれは起きてしまったことだしもう戻らない。そういう風に人間の思惑とは関係なしに物事は起きているようだから、運が良いとか悪いとかの解釈にこだわらないで、自分としてどう生きるか、自分の人生から目をそらさずに最後まで見届けるということが大切なんじゃないかと思うな。ちょっと長くなりましたが、私もあなたのことを知らずに無責任に言っています。ご容赦ください。

  • s-aoji
  • 2016/12/12 6:00 PM

こんばんは。
丁寧なお返事をいただき、恐縮です。
お母さまがご不自由になられたお話、心に沁みました。
実は、わたしの夫も脳出血で高次脳機能障害となり車いすの生活なんです。
かれは運が悪かったのか?
運で片付ければ「思考停止」を招いて楽になるのかもしれない。
じゃあ、彼の配偶者で世話をしている私は運が悪かったのか?
この問いの答えは、あなたの言うように簡単ではないような気がしてきました。
もっとほかの人生があったはずだと思うと情けなくなるときもあります。正直。
あたしは化学者でした。
化学でも物理でも偶然はありえないんです。
一見偶然に見えるものでも、なにかしら原因があってそうなっている。
時間軸でさかのぼればそれが見えてくる。
確かに「運」というものはサイエンスには存在しないことになります。
アインシュタインは「神はサイコロを振らない」といって、確率論を物理学に持ち込むことを拒否しました。
けれど、確率でしか表現できない事象が量子の世界にあることがハイゼンベルクによって示されたし、シュレーディンガーによっても示唆された。
あたしは、運や運命論を嫌悪していたはずなのに、実生活で忙しさにかまけて自分を見失い、そういった「運」のせいにして事実から目をそらしていたのかもしれません。
人の心は弱い。
弱いからこそ、壊さない技術が望まれます。
どうもありがとうございました。

   
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