今日の朝食、白米、ワラサの煮付け、がんも



いただきます!
5月4日に母が亡くなってから今日まで、あっと言う間に時間が過ぎた。言われている通り、人が亡くなると葬儀やら何やらで悲しんでる暇もない。それでも母は交通事故から11年、ここ2、3年は体力もかなり落ちて骨と皮ばかり、高次脳機能障害で会話も出来ない状態だったので、早く楽にしてあげたかった。何度も入退院を繰り返して、最後は4月のはじめに救急搬送されて人工呼吸器をつけたので、なおさら早く楽にしてあげたかった。見ていられなかった。だから、亡くなってから暫くは悲しいというより安堵の気持ちが強かった。それから通夜お葬式、収骨、初七日の法要まで、考える暇もなくあっという間に過ぎた。けど、母がやっぱりすごいと思うのは、4月の入院から葬儀の日までちょうど一ヶ月、子や孫が集まりやすく仕事に支障がないようにと考えてか、ゴールデンウィークの最後の日曜日に葬儀。僕も入院中に葬儀の準備ができた。葬儀は子と孫ひ孫だけに限った家族葬にして、祭壇は花でいっぱいの花祭壇にしてあげた。国立劇場小劇場で三味線のお披露目をしたときのビデオをずっと流してあげた。葬儀が終わるまでの3日間、なんだか夢を見ていたような感じだ。骨になった家に帰ってきたけれど、骨は骨、もうそこには母の魂は無いようだ。無くなる数週間前には三度夢に出てきてくれて、もう別の世界に行っているのは間違いない。それがどこか遠いところであるようだけれども、いつも近くに居てくれるようでもある。だから特別寂しいとかと言うのではなく、僕はなんだかとても穏やかな気持ちで居られる。父がなくなったときもそうだった。遠くに行ってしまったというより、生前より身近に感じられる。そういう存在が母と父の二人になった訳だ。安心して生きて行ける。親というのは有難い。生まれたときから、いや生まれる前からだろうか、そして亡くなった後、僕が死んだ後までも、ずっと見守っていてくれる。ああ、有難いものだ。感謝。合掌。
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