青汁の話(2)



敗戦、決意

遠藤仁郎氏は、昭和20年5月に三度目の召集令状が来て、その時は熊本に配属されたそうです。配属先の部隊は平均年齢42歳という当時にすれば老人部隊で病人も多かったのですが、支給される薬箱は戦闘時以外手を付けられず、街の薬屋にもろくなものがありませんでした。幸い山の中であったので、兵隊に毎日草や木の葉を取ってこさせ、民家の餅つき臼を借りて青汁を作ったそうです。上官の命令なので、兵隊達もまじめに青汁を飲んでくれ、面白いように効果が出る。それを伝え聞いて近所の人たちもわけてもらいに来るほどの評判になったそうです。自分で作って飲む人もふえ、学校や婦人会から頼まれて講演もしました。
 やがて敗戦を迎えると、氏は本土決戦に最後の勝利を信じさせられて死ぬ覚悟をしていたので、戦争が終わって生きられることにおおきな喜びを感じた一方で、大陸や南方、広島で非業の最期をとげた多くの戦友の無念を思うと、生き残った自分に課せられた責任の重大さを痛感せずにはいられなかったそうです。

「この惨憺たる敗戦の原因は何であろうか。資源の乏しさも、科学の遅れもあったろう。けれども、さらに大きく根本的な原因は、日本国民全体の身体的・精神的退廃、すなわち、不健康ではなかっただろうか。しかもそれは、国民栄養の誤りに由来している。
 静まりかえった駐屯地の医務室で、私はひとり心に誓った。本当の日本再建は真の健康なしにはあり得ない。何はおいてもまず、栄養の改善だ。そして、その唯一の道は緑葉食、青汁だ!これの普及は、死せずして生きることを許された私に与えられた使命ではないだろうか。緑葉食で日本を救う。そのために私は、生涯の全てを捧げよう。」
(遠藤仁郎著・遠藤治郎監修「もっと緑を!」より)

こうして、遠藤仁郎氏による緑葉食・青汁の普及のための取り組みがはじまりました。

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