日々の戒め(323)



独創性ということがよくいわれるが、それは何を意味しているのだろう!われわれが、生まれおちるとまもなく、世界はわれわれに影響をあたえはじめ、死ぬまでそれが続くのだ。いつだってそうだよ。一体われわれ自身のものと呼ぶことができるようなものが、エネルギーと力と意欲のほかにあるだろうか!
(ゲーテ)

日々の戒め(322)



われわれ人間には、世界で行われていることのすべてを知り、すべてを理解する力はない。それゆえ、いろんな事柄についてのわれわれの判断が正当とは言えない。人間の無知には二種類ある。一つは生まれながらの純粋で自然な無知であり、もうひとつの無知は、いわば真の賢者のみが到達する無知である。ありとあらゆる学問を極め、古今の人知を渉猟しつくした人は、それらの知識を十把ひとからげにしてもきわめて取るに足らず、それをもって神の世界を真に理解することは不可能だということが分かり、結局学者などという人種も、本質的には学問のない普通の人と同じように、実は何一つ知らないのだと、確信するに至るのであろう。
(パスカル)

日々の戒め(321)



叡智は―人間にとって広大無辺な目標であり、われわれは自由な時間のすべてをあげてその獲得のために捧げなければならない。われわれがどれほど多くの問題の処理に成功しようとも、やっぱりわれわれはいつになっても検討と決断を要する問題を山ほど抱えて苦労しなければならない運命にある。それらの問題は実に広範多岐であるため、われわれの知力を十分発揮させるためには、意識の中からいっさいの無益なものを排除しなければならない。
(セネカ)

日々の戒め(320)



人間は自分の生の目的そのものを把握することはできない。彼はただ目的の存する方向だけを知ることができるのだ。
(トルストイ)

日々の戒め(319)



小さな悪についても、これくらい平気平気と、なおざりに考えたりしてはいけない。小さな水滴でも、集まれば容器一杯になる。愚者は少しずつ悪を犯しているうちに、やがて悪だらけの人間になってしまう。
 善についても、どうせ自分にはかなわないことだと、捨て鉢に考えてはいけない。水の一滴一滴がやがて容器を一杯にするように、善福に向かって精進する人は、一つ一つの善を積み重ねていくうちに、やがて善徳にあふれた人となるであろう。
(仏陀の箴言)

日々の戒め(318)



人々は常にありとあらゆる幸福を求めて飽くことを知らない。しかしながら人間の手の届く最大の幸福は−自分自身の高き本性にしたがって行動することであり、汝の霊の、高尚な、神的本性は、汝に向かって、自分自身にとっての最大の幸福として、倦むことなく他人に善をなせと命じているのである。
(マルクス・アウレリウス)

日々の戒め(317)



日々よりよき人間になろうと精進する生き方よりも良い生き方はなく、実際に自分がよりよき人間になりつつあることを感ずることよりも大きな喜びはない、と私は思う。これこそが私が今日まで絶えず味わってきた幸福であり、私の良心が私に向かって、これこそ真正の幸福であると語っている。
(ソクラテス)

日々の戒め(316)



低劣な人々に媚びへつらうよりは、生命を失うほうがましである。富者に仕えて贅沢するよりは、赤貧に甘んずるほうがましである。富者の門に立たず、哀願の声を上げないこと−これこそ最上の生活である。
(インドの教典)

日々の戒め(315)



七十五歳にもなると、ときには、死について考えてみないわけにいかない。死を考えても、私は泰然自若としていられる。なぜなら、われわれの精神は、絶対に滅びることのない存在であり、永遠から永遠に向かってたえず活動していくものだと固く確信しているからだ。それは太陽と似ており、太陽も、地上にいるわれわれの目には、沈んでいくように見えても、実は、けっして沈むことなく、いつも輝き続けているのだからね。
(ゲーテ)

日々の戒め(314)



試みるがよい−おそらく君も、自分の運命に満足している人のように、愛と善行によって内的平安を獲得した人のように生きることができるであろう。
(マルクス・アウレリウス)