日々の戒め(298)



なんにしても、もし忘れてしまうぐらいのことだったら、思い出す価値はない。もし、頭から離れないものだったら、たぶんそれに突っ込んでいく価値があるんだろうと、おれは考えるのさ。
(トム・ウェイツ、ミュールバリエイションズ・自身によるアルバム解説から)

日々の戒め(297)



もしも君が、現在の社会体制が間違っていて、それを改革したいと思うならば、その方法はただひとつであることを知るがよい。すなわち、すべての人々がより善良になることがそれであるが、そのために君にできるただひとつのことは、君自身がより善良になることである。
(トルストイ)

日々の戒め(296)



今すぐできる善行は、絶対に先に延ばしてはならない。なぜなら死は、人がなすべきことをなし終えたかどうかにかまいなくやってくる。死は誰一人、そしてまた何一つ待ちはしない。死にとっては敵もなければ味方もない。
(インドのアグニ・プラナ)

青汁・遠藤語録(31)



繰り返しになるけれども、青汁は味で飲むのではない。人間の体に不可欠な栄養素をおぎなうべく、ふだんの食事に不足しがちな青野菜を食べるための、一つの方便である。つまり栄養改善法として飲むものであるから、いろいろと添加しておいしく飲みやすくしたものほど、本来の姿からは遠ざかることになる。
(遠藤仁郎著「もっと緑を!」より)

日々の戒め(295)



人間の仕事−それは彼の生き方である。その仕事が善かれ悪しかれ彼の運命となる。そこにわれわれの人生の法則がある。それゆえ人間にとってもっとも大事なことは現在彼が何をなすか問うことである。
(インドのアグニ・プラナ)

青汁・遠藤語録(30)



飲む量には特に決まりはない。普段から野菜をよく食べている人なら、コップ一杯くらいで充分だろう。しかし、野菜のとり方が少なく、ごはんや肉類や甘いものが好きな人は、少なくとも一日コップニ、三杯は飲んでほしい。体の具合がとこか悪いときも同じで、なるべく多く飲むのがよい。
(遠藤仁郎著「もっと緑を!」より)

日々の戒め(294)



人間もすべての動物と同じように、飢えや寒さで死なないためには、どうしても働かなければならないようにできている。そして食うため雨露をしのぐための労働は、すべての動物にとって同じように、人間にとっても苦しみではなくて喜びである。ところが人間の社会は、ある人々は、自分では何もしないで自分たちのために他人を働かせ、自分たちは何をしていいかわからないために退屈したあげく、時間つぶしにいろんなばかばかしいことを考え出す始末だし、一方ある人々は、過重な労働を強いられ、しかも自分たちのために労働するのでなくて、他人のために無理にやらされる労働であるため、嫌々ながらやっている、と言った具合にできあがってしまっている。
(トルストイ)

青汁・遠藤語録(29)



慣れないうちは飲みにくいかもしれないが、なるべくしぼったままの“生地”を味わうようにしてほしい。青汁というのは、もともとまずいものなのだ。決してジュースやコーラのような嗜好飲料ではない。だれしも味が好きで飲むのでなく、健康な体を取り戻すため(あるいは維持するため)、いわば「命をかけて飲む」のである。
(遠藤仁郎著「もっと緑を!」より)

日々の戒め(293)



もしも勤労そのものがあなたにとって第一義で、報酬は第二義であるならば、勤労およびその創造者なる神があなたの主人となるであろう。もし勤労があなたにとって第二義で、報酬が第一義であるならば、あなたは報酬およびその創造者なる悪魔の奴隷となるであろう。しかもその悪魔たるや、最大級に低劣な悪魔なのである。
(ジョン・ラスキン)

青汁・遠藤語録(28)



青汁を飲むことは、いわば、太陽を飲むことだ。青葉は、大地のミネラルと太陽のエネルギーから生命を創造しているわけだが、青汁はその生命をそっくりそのまま利用しようというものである。だから、なるべくよく日光に当たった、自然に近い状態の、新鮮で生きのよい材料で作らなければならない。それは、手近にあるものでなければ、望めないのである。
(遠藤仁郎著「もっと緑を!」より)