音楽のタカラモノ(10)playing love

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映画「海の上のピアニスト」の中の曲。
客船の中で育ちピアノを弾くことが生きることだった主人公は、アメリカに渡る女の子に恋心を抱いたが言葉で伝えることができなかった。録音の為にピアノの前に座った主人公は、船窓の向こうを歩く少女の姿を見つけて、切ないピュアな想いは美しいピアノの曲になってあらわれた。
派手ではないけど、良い映画だったと思う。現実に近いファンタジーみたいな感じだ。こういう純粋な心って、年を経るとともにその美しさが分かってくる。やっぱり大切なのは、美しい心だよね。この曲がまた、心の奥深いところに触れるね。

音楽のタカラモノ(9)My Foolish Heart

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 マイ・フーリッシュ・ハートは、やはりこのビル・エバンスの曲は外せない。この曲に魅せられたのは、アルバム「ワルツ・フォー・デビー」だった。このアルバムそのものがタカラモノだった。ジャケットしてからが、もう強烈なオーラを放ってるでしょ。その頃はLPレコードだった。大好きなアルバムは、レコードジャケットからレコードを取り出すときからもう、それは儀式なんだ。

 レコードの溝の面に触らないように、円盤の中心と端をもって慎重に取り出し、今度は両手で円盤の端をもって盤面を触らないようにしてターンテーブルにのせる。そしてターンテーブルを回転させる。アームの先にとりつけられたシェルの取手を人差し指にのせて、カートリッジの針をレコードの溝に沿わせてそっと置く。アンプのボリュームを上げると、かすかにノイズが聞こえはじめ、レコードに閉じ込められた暖かみのある空気がスピーカーを通じて目の前に現れる。

 そして、ビルエバンスのピアノが、ゆっくりと少し躊躇しているかのように、最初の音を弱く弾く。そしてベースとドラムのブラシがそっとささやくようにピアノに従う。どれ一つかけても存在できない完璧な演奏がそこにある。スピーカーを通した音からでも、聴く者を引き込んで離さない空間を作り上げている。カートリッジの針がレコードの溝の終端に至るまで、その場から動くことができなくなる。これは魔術だ。魔法にかかっているんだ。本当にそう感じるんだ。

 そんな気にさせた「ワルツ・フォー・デビー」です。アルバム全体がこんなオーラを放っていて、こういうアルバムは他にはないと思うな。それもこの一曲目の「マイ・フーリッシュ・ハート」によるところが大きいんじゃないか?これまでいろいろな曲を聴いて来たけど、僕の中では、良いと思う曲は出だしから良い。何かを予感させ、聞く人を引き込む力が最初からあると思うんだ。

 そんな曲だけど、やっぱり演奏する人の力というか、想像力というか、人間性というか、表現力というか、そういうものが出てしまう。多くの素晴らしいミュージシャンがこの曲を演奏するけど、だからこそ演奏にその人の思いの深さなんかが出てしますんじゃないかな。

 歌詞は、特別な内容ではないと思う。曲はビクター・ヤング、詞はネッド・ワシントンで、同名の映画主題歌だそうですが、僕は映画は見ていない。49年と古い作品だし。

 夜はまるで美しい調べのよう、気をつけて、私の愚かな心、いつも同じはずの月がなんて白く輝いているんだろう。愛するのとただ魅せられたのとは違うのは知っているけど、こんな夜にそれを見分けるのは難しい。キスの魔法にかかって自分を失うとどちらも同じように気持ちが昂る。彼の唇が私の唇に触れようとする。気をつけて、私の愚かな心。求めあう二人の唇が一つに重なると、二人の心は激しく燃え上がる。今度こそ、ただ魅せられただけじゃない,色あせて分かれるような夢でもない、本当の愛。私の愚かな心。

 こんな歌詞なんだけど、ちょっと甘ったるくて、ロマンチックだよね。映画を見ていないと、この歌詞の内容はよくわからないと思う。僕も見ていないから偉そうなことは言えない。この詞だけ読むと、恋に落ちたときの燃え上がる心情を歌っただけなんだけど、そんなに単純じゃないようだ。それでなきゃ、こんなに切ない恋の歌にはならない。

 まだ若く学生だった頃、深い恋に落ちた。しかし、恋人は軍の訓練中に事故に遭い帰らぬ人となってしまった。残された彼女はその人の子どもを宿していた。彼女は子どもを産み育てるために、友人の恋人を奪い子どものことは知らせずに結婚してしまう。時が経ち、夫婦仲は冷めきっていた。友人が夫とよりを戻して離婚を求めてきても驚きはしなかったが、夫がかつての恋人の忘れ形見である一人娘を引き取ると言い出したことには、身を裂かれる思いだった。しかし、友人の計らいで娘と別れなくて良いことになり、彼女は涙のうちに娘を強く抱きしめるのだった。ってことが、ネットを探すとでてきます。

 原作はサリンジャーの「コネティカットのひょこひょこおじさん」だそうですが、サリンジャー自身は映画化に大して不満であったようです。映画とその原作って、いつも相当の距離があるって思うのは、僕だけじゃないでしょ。これは特に原作を基にした新たな作品という感じがする。原作の小説も読んでいないし映画も見ていないけど。でもそういう関係性のものは多くあると思う。原作読んでから映画を見た人は、大概がっかりしたりする。サリンジャーの小説のあらすじ見たりすると、それだけでも全然違うって思える。

 この曲だって、映画の主題歌でヒットもしているだろうから、映画を見た人ははその映画の内容に縛られたイメージを描くんだと思うけど、映画を見ていない人は、メロディーと歌詞の内容から勝手にイメージを作り上げて聞いてしまう。僕なんか映画を見ていないけど勝手に想像して、理性を失って恋に落ち、自嘲的に人を愛してしまった愚かな私なんて想像してるけど、その中身は全く違っている。小説だって曲だって、作った人の思いとは違う風に理解されるものだ。

 サリンジャーの原作は、かつての恋人との間にできたと思われる娘が、いつも空想上の友達を作り出しベッドの半分をあけて寝たりする姿に自分の姿を見いだし、過去に縛られず今を見て生きていこうとする女性を描いているかのようだ。映画は、過去の恋人が忘れられず、娘の姿にある過去の恋人の思い出を抱きしめる女性を描いているのかなぁ。後者には未来がない。過去に縛られっぱなしだ。この差は大きい。

 そうしてこの曲を聴いてみると、映画の主題歌としてのこの曲は、若かりし頃純粋に愛したかつての恋人が忘れられない女性の悲恋を切ないメロディーにしている。映画としては、一般の人に受ける悲恋として描いた方がヒットするだろうし、こんな切ない主題歌だったらヒット間違いない。その代わりに、原作者の意図とは違った単純な悲恋物語になってしまったようだ。

 この曲の歌詞は、恋に落ちた自分の心を愚かだといい、それが本当の愛だったといい、その愛を失った自分を哀れんでいる。少なくとも現代では、こういう物語に共感する人は少ないだろうと思う。共感されるとしても、安っぽいテレビドラマかなんかになってしまう。だから、この曲は歌詞がないメロディーだけの方がいい。聞く人が自分の経験を勝手に重ねあわせて、感傷に浸ることができる。

 ビル・エバンスのこの曲は、原作や映画や歌詞を離れて、ビル・エバンス自身の内面を表現できたから多くの人に感動を与えることができるんだと思う。こういうことができる人は、そう多くはいないんじゃないかな。その一つ一つの音の中にビル・エバンスの心情が込めらている。それがどんなものかは分からないけれど、心の奥深いところからでて来たものであることは想像できる。それが、多くの人に共感されるのではないか。聴く人によっていろいろに、はっきりとはいえないけど、心が共鳴するような何かなんだと思う。ビル・エバンスのこの曲を聴いてしまうと、他のは聴けなくなる。

音楽のタカラモノ(8)Rockin’ Chair

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ホーギー・カーマイケルって人、聞いたことあるかなぁ。ナット・キング・コールが甘い声で歌った「スターダスト」とか、レイ・チャールズの歌が印象に残る「ジョージア・オン・マイ・マインド」とか、良い曲たくさん書いているんだ。第二次世界大戦の前あたりに活躍した人だから僕もあまり知らないんだけど、後々まで歌い継がれるスタンダードの名曲を生んだ。

この曲を最初に聴いたのは、76年のマリア・マルダーの「スィート・ハーモニー」ってアルバムだった。マリア・マルダーは72年の「オールド・タイム・レイディー」ってアルバムが素晴らしくてお気に入りだったんだ。その後はぼちぼちだったんだけど、このアルバムの「ロッキン・チェア」にはまいった。何回も繰り返し聞くことになった。曲の後半でホーギー・カーマイケルがバックで歌ってたりするんだ。

 古ぼけたロッキングチェアに捕まっちまった、杖はそこへ置いちまった。おまえ、ぶっ叩かれる前にジンを持って来ておくれよ。あたしゃ、もうこの小屋からどこへも行かれやしない。ここに座ってうるさい蠅を追い払うだけさ。大好きだったハリエットおばさんは天国に行ってどれくらいになるかねぇ。あたしのこの災難だらけの人生の終わりに、すてきな馬車をお迎えによこしてちょうだいよ。ああ、最後の審判のときだ。このロッキンチェアにつながれたままさ。

 なんてことを、こんなにゆったりとしたすてきな曲で歌うんだから、ものすごい。こんな歌、日本にあったっけ?ちょっと思い浮かばない。辞世の句とか歌とかあるけど、メロディーとかついて多くの人に歌われていくなんてことないよね。粋な人が三味線弾きながら死ぬとか、思い出のある歌を歌いながら死んでいくなんてあるかもしれないけど、死に逝く姿そのもの、老いの姿を歌にするって、おもいだせないなぁ。

 良くは分からないけど、日本では死ぬことは穢れることってイメージがあるような。触れちゃ行けないもの。そういう神話的な死のイメージと、輪廻転生を繰り返す仏教的なイメージとごっちゃになっていて、さらに最近ではキリスト教的な死のイメージも。今の日本は死にたいするイメージは、はっきりとしたものがないよね。日本だけじゃないのかもしれないけど。

 それは、社会としての死に対するイメージの欠如ってことでもあって、そういう社会は人が幸せに生きることが難しいんだと思う。幸せな死をイメージできないってことは、幸せな生をイメージできないってことさ。死は生の一部だからね。言い方を変えれば、死を迎えるときは現在進行形の生で、死んでしまうまでは生きているってことだし。若いときの良い時期はかすかな記憶の中だ。夢の中の出来事と変わらない。やっぱりよく言われるように、今この瞬間だけが現実の生だよ。その瞬間幸せでいられるんだろうか。

 日本でしか生活したことないから外国のことはよく知らないけど、少なくともこの少子高齢化が問題になっている日本では、老人の死って、厄介払い見たなところがある。介護の問題は、する方にも受ける方にも苦痛になっている。社会にとっても重荷になっている。死の時が来ると、どちらもほっとしたりする。不慮の事故や病気などで若くしてなくなるのは悲しみが深いけど、老いて介護が必要になってしまうと、悲しみよりは開放感だ。老いる、死を迎えるということは悪なのだろうか。

 この曲で歌われている老人もは、たぶん貧しくゆかな生活は送ってこなかったと思われるし、むしろ社会的には虐げられていたのではないか。そういう人に取って人生は災難の連続でしかなく、その最後の災難が死なんだろうね。最後の審判で、お前は天国だとか地獄だとか、ろくでもないやつに決められるなんてのは災難でしかない。人間が生きていくためにこの世でしたことなんて、どんなことでも地獄に堕ちる理由にはならないさ。ほんとの悪人で地獄に堕ちた方が良い人間もいると思うけどね。たぶんそんなのは最後の審判なんかじゃなくて、既に地獄なんだろうけど。

 どんなに苦しくてつらいことも耐えて、生きることに必死だった人間は、たぶん天国に入れるよね。でも、その最後の審判のときは、人生最後のとき、自分の生が終わろうとしているとき、人はどう思うんだろうか。日本の多くの人がそうなるように受けたくもない介護を受けなくちゃならないとき、家族からお荷物と思われているとき、どんな思いだろうか。

 この曲に描かれている老人は、幸せな方かもしれない。寝たきりではなかったようだし、頭もしっかりしている。ロッキングチェアで死を迎えるなんて、優雅なことだ。現実にはもっと惨めな死を迎える人間がたくさんいたんだろうけどね。

 作り物のきれいごとかもしれないけど、自分としてはそうして死んでいきたいね。自分が年老いて、もうそろそろおしまいだなって分かったら、椅子に腰掛けるとか縁側で家の壁にもたれかかるとかして、ああ自分もついにお仕舞だ、この人生よかったのか悪かったのかなんて考えていたら死んでいた、なんてのが良いね。介護受けたり延命措置をされるなんて、できれば避けたいね。だから毎日健康で過ごせる努力は続けたい。

 だからこの歌は、自分の死のことを考えちゃったりしたとき、死ぬときはああいう風に死んでいこうって、そのために後少しがんばっていこう、てな風に考えたりするんだ。ああ、ほんとにそうして死んでいきたい。自分を生んでくれた親を看取って、この世での生を終わる時が来たら、一人で静かに死んでいきたい。今それが難しくなっちゃったからね。そういう社会にしなくちゃいけないよね。


Maria Muldaur - Rockin' Chair


Hoagy Carmichael - Rockin` Chair

音楽のタカラモノ(7)Up on the Roof

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 やっぱりジェームス・テイラーの歌うこの曲が好きだ。キャロル・キングとジェリー・ゴーフィンが書いて、ドリフターズが歌ったんだけど、僕がであったのはジェームステイラーのアルバムだった。だから、やっぱりジェームステイラーの歌う曲が頭に刷り込まれている。

 キャロル・キングの曲はとっても素晴らしいんだけど、ジェームス・テイラーが作る世界も素晴らしい。You've Got a Friend なんかもそうだね。ジェームス・テイラーの曲になっちゃうんだ。これはもうしょうがない。カレン・カーペンターが何歌ってもカーペンターズの世界ができちゃうのと同じで、しょうがないんだ。そういうものを持ている人なんだよね、ジェーム・ステイラーは。

 美空ひばりは何歌っても、美空ひばりだよね。美空ひばりは作曲しないけど、完全に自分のものにして自分の世界を作って、誰にも愛されるんだと思う。名前を聞けば曲を聴かなくても想像できちゃうけど、聴くと頭から離れない、みたいな。

 キャロル・キングだってそうだ、世界がある。ジェームス・テイラーにも世界がある。どちらを好むかは、聴く人の感性もあるだろうし、最初に聴いたのがどっちかとか、聴いたときの状況とか、アーチストに対する思い入れとか。

 ドリフターズが歌うこの曲を好きだっている人は、あまり多くないだろうとおもうけど、そのときは多くの人を引きつけたんじゃないだろうか。その曲に対する解釈とか、その時代に受け入れられるアレンジとか、新しい色づけをして一つの曲を歌うのって良いよね。日本ではあまりそういうことはないけど、アメリカなんかじゃよく聞くね。なんか、良い曲は曲として大切にしているみたいだ。ジャズでも過去の名曲をそのときその人の解釈で演奏したりするし。

 特に今の日本は、良い曲だってたくさんあるのに、人の曲は歌わないで自分の歌で当てようとしてるみたいだね。良い曲は多くの人が歌い継いでいくべき財産だと思うなぁ。カラオケで歌ってもいいけど、それじゃぁね。我が国では歌は消耗品みたいだね。

 この曲の内容は、あんまり難しくない。人との関わりの中で落ち込んだりしたときは、屋根の上に登ろう。うるさい雑音は聞こえないし、星がすてきなショーをやってくれる。君も落ち込んだときには一緒に昇ろうよ。みたいな感じの歌の内容で、深い内容は無いように思える。ちょっと、上を向いて歩こう、みたいな気分じゃない?。子どもの頃、よく上を向いて歩いたよ。

 冷めてみてしまうと、現実逃避的な感傷の気分だ。でも、こういう気分が折れた心を癒してくれるときもあるよね。僕も強い人間じゃないから.こんな感傷に浸るのは大好きだ。現実は無情に迫ってくるのにね。屋根で考えていても、降りなくちゃ行けない時間は必ずくるんだ。でも。

 感傷に浸ってちょっと一休みして、力をためて、また前にすすもう!すぐ弱音をはく僕には、すごく勇気をくれる曲だ。なんでこの世界はこんなにひどいことばかり起こるんだろう。人はどうしてあんなにひどい振る舞いをするんだろう。ひどい言葉、ひどい仕打ち。この世に神様はいるのだろうか。僕はどうしてこんなひどい世界で、ひとりぼっちで生きているんだろう。生きているのに何か意味があるんだろうか。

 屋根の上で一人考えていても、答えはでてこない。星がただ静かに瞬いてだけだ。何億年、何十億年、ずっとこんなに綺麗に瞬いているだけだ。ただ静かに。綺麗だね。人類の存在だって、あの星の瞬きくらいのほんの一瞬かもしれないね。では、また。

 

james taylor - Up on the Roof - Live

音楽のタカラモノ(6)Desperado

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 イーグルスの名曲です。この曲が好きな人は多いんじゃないでしょうか。アルバム「ならず者」の中でも最も印象的な曲です。歌詞の内容は、ならず者の男に対して、安らぐ場所もなく孤独にさまよっていたらおかしくなっちゃうよ、手遅れになる前にだれかに愛してもらえよ、とやさしく語りかけるものです。

 イーグルスはやっぱりホテル・カリフォルニアの方がよく聴いたなぁ。「ならず者」はアルバムとしてぱっとしない感じだった。ストーリ性を持ったトータル・アルバムだったみたいだけど、ピンとこなかった。英語の曲って、あまり歌詞の意味とかその背景とか理解しないで聴いちゃうところがあるから、良い悪いがよくわからないんだね。メロディーやリズム、調子で好き嫌いが決っちゃうんだよ。だから、アルバム全体の意味とかじゃなくて、この曲のこの感じがいいとか好きじゃないとか。「ならず者」もアルバムとしてはよくわからないけど、この曲はいい、になっちゃうんだよね。で、この曲は特に良かった。

 「ならず者」っていうと、西部劇なんかによく出てきた、ならず者、無法者のことだと思うんだけど。このアルバムのモデルは強盗団だったドゥーリン=ダルトン・ギャングだそうで、銀行や列車を襲ってお金や宝石奪っちゃうって奴らなんだね。よくは知らないでいっちゃいけないけど、アメリカの西部開拓時代って、それは過酷な時代だったんじゃないだろうか。新しい土地を求めて入植した移民が未開拓の西部に開拓民として入り込んでいくんだけど、だだっ広い土地はやせて農産物つくるのだって大変な苦労だっただろうし、牧場に牛を集めて売りさばくために何千キロも旅したり、生きていくためには汚いことだってしなくちゃならない、てこともあったんじゃないのかな。

 よく映画なんかで描かれていたのは、小さな田舎町で荒くれの一団が馬に乗ってやってきて、酒場でもめ事を起こして銃で打ち合いをしたり、決闘をしたりするやつだ。町の外にアジトみたいなのを構えていて、仲間と暮らしていたりする。金や食い物がなくなったりすると、町へ来て酒場でただ酒を飲んだり、商店のものをかっぱらったり、牧場で牛を盗んだりする、町の嫌われ者。町には保安官が秩序を保っていたりするけど、何しろ広い土地だ。保安官の目の届かないところじゃどんな無法が行われてもおかしくないんだ。銃を持っていなければ、生きていけないようなといころだ。新天地を求めてきた移民や兵隊崩れやインディアンや黒人や都会を逃れてきた流れ者とかお尋ね者、いろんな人間が無法地帯の荒野で生きていかなければならなかったんだろうね。

 夢や希望を抱いてやって来た者もこんな過酷な現実に勇気をくじかれて、社会から逃れて孤独の中に生きたり、絶望したり、荒くれたりすることも多かったんじゃないだろうか。そして貧しくて食べるものにも困るから人のものを盗んだり、やり場のない怒りを人に向けて喧嘩をしたりする。仲間と一緒に強盗団をつくって、銀行や列車を襲って金目のものを奪たりする奴らもいる。そうなるとやられる方は大損害だから、保安官やガンマンなんかを雇って強盗団をやっつけようとすると、強盗団も当然逃げる。強盗をやりながら、町から町、州から州へ逃げていくんだね。心の休まるときなんてないんだね。雨や雪や風や日照りのなかでも、逃げていくんだね、追っ手に殺されちゃうから。隠れ場所を見つけたとしても、決して安心はできないし、寝ている時だっていつも銃を持っていてすぐ逃げられるように緊張しているんだ。仲間を売ることだってある。「明日に向かって撃て」、て映画なんかでもそんな姿が描かれていたと思う。

 こういう強盗団は社会から見れば悪者だから、極悪人のように描かれるのが普通だと思うけど、「明日に向かって撃て」では、社会から見た極悪の荒くれ者というよりは、悪人の側から見た人間としての視点で描かれていたと思う。人間だから、人を好きになったり友を大切に思ったり裏切ったり、悲しんだり怒ったり苦しんだりするんだ。悪者になったのは、悪者なりの理由があって、貧しかったり、傷つけられたとか、ひどい仕打ちを受けたとか、いろんな理由があるんだね。社会から見ればそんなこと関係ないけどね、悪人は悪人さ。だけど、時が過ぎて社会がいろんなことを経験してくると、悪人=悪人だけじゃなくて、悪人=人間という視点も価値観が多様化する中で生まれてくる。

 イーグルスのアルバム「ならず者」はそうした見方の一つだと思うんだよね。特にアメリカは、西部開拓時代のならず者とかガンマンとか、強盗団とか、カウボーイとか過酷な時代を強さを持って生きた荒くれものを愛するところがあるみたいだ。強盗団=悪者ではなく、強盗団=人間という視点でとらえているんだね。強盗団は確かに悪人だけど人間だ。悪人にならなければならなかったのにも理由がある。銀行家や金持ちが贅沢な生活をしている一方で、同じ人間であるはずの貧乏人は食べるものにも困るほどの生活だ。神様は一体何を考えているんだろう。銀行や金持ちは自分たちだけがいい目を見るために悪人以上のひどいことをしてるじゃないか。そうした奴らから貧しい俺たちがその日の飯を食うために少し金をいただいたって、神様は許してくれるって。

 貧富の格差がある社会では、強盗団=悪人という図式が必ずしも成り立たない場合がある。義賊といわれるものがそそれだろう。ロビン・フッドや鼠小僧、ジェシージェームズなどなど。どこの国にもあるお話だ。貧しいもののヒーローだ。社会にとって彼らは悪人だけど、もっと悪い悪人は金を必要以上に抱え込んでいる金持ちや資産家、貴族、実業家なんかだということを、貧しいものたちは知っている。善良な小市民は、銀行や列車を襲うなんて大それたことはできないけれど、彼らはそれをやって悪人を懲らしめてくれる。だけど社会はそれを許さない。社会は大体いつも金を持っているものの味方だ。そして、貧しいもの達のヒーローは無惨な最期を遂げることになる。いつでもどこでも、その悲劇は繰り返される。そしていつも、貧しいものたちはどうすることもできない。無力感が伝説を作り出してくんだね。

 この歌の「ならず者」は、かつての強盗団みたいな悪人をモデルにしているんだけど、この歌はそうした「ならず者」のイメージを超えて、いろんな人に共感される幅の広さを持っていると思う。「ならず者」って反社会の人間だから、そうした状況にある人は意外といたりする。社会っていうと大きなものをイメージするかもしれないけど、一人の人間にとっての具体的な社会って学校や会社であったり、家庭であったりする。そこにはそこのルールやきまりみたいなものがあるし、そのルールなどに反するような人間は「ならず者」ってみることだってできる。社会と個人は矛盾する場合が多いでしょ。自分の意地や信念を貫こうとすると社会のルールと相容れない場合が結構ある。夢をもとめて必死になっても人に理解されないとか、自分を主張して入れられない場合とか、自分のやり方が他の多くの人と違うとか、訳もなくのけ者にされているとか、孤独であるとか、いじめに遭っているとか、家族の反対を押し切って自分を貫くとか。

 そういう経験のある人は、この歌を聴けばこれが単に西部劇の「ならず者」のことだけを歌っているんじゃないって思うんじゃないだろうか。自分の事と重ねあわせて聴く事ができる。恋をしている人も、自分の夢を追いかけている人も、信念を貫いている人も、友達とうまくやれない人、人からひどい仕打ちを受けている人、孤立している人、様々な人が置かれている状況が、この曲の歌詞と切ないメロディーに重なるんだ。

 人は孤独なんだ。一生懸命生きているとき、なにかに打ち込んでいるとき、人は孤独だ。ルールや決まりや他人の命令を聞かず自分の思うように一人でやるということは、自由を手に入れるってことだって思うかもしれないけど、それは逆に言えばとても孤独で牢獄にいるのと少しも変わらない。孤独になって人と関わらなければ心が乱されることもないけど、その代わり心が震えるような喜びや悲しみといった人間らしい感情を失ってしまう。人を信じることに臆病になっているのなら、誰か愛してくれる人を見つけて深い心の傷を癒もらわないと、孤独の中で死んでいくことになる。

 この曲は、そんなならず者に語りかけて、まともに生きろよって助言しているような形になっているけど、もう少し複雑だと思う。家族や兄弟、親友などからこんな風に諭されて勇気をもらうこともあるとは思うけど、悪く言えば上から目線だ。まともな者がまともじゃない者に助言している訳だ。心に深い傷を抱えて人を信じられなくなっているような人間はとても敏感になっているから、自分以外の人間からそういわれたからってまともに聴くはずがないし、ましてや心に響くこともない。言われるようなことは自分が一番良く知っているんだ。だからこの歌は、ならず者ではない自分の心が、ならず者である自分自身に話しかけているんだいう風に捉えることもできる。

 まともにならなきゃいけないってことは分かっていても、どうにもならないってときがある。この世界に生まれて、親の深い愛情を受けるとか、いろいろなことを学ぶ、恋をする、夢を抱く、家庭を持つ、為すべき仕事をするとか、生きることの喜びを与えてくれはずのものは、その人を傷つけることもある。傷ついて、どうしていいかわからず、粗暴になり、人が信じられなくなり、心を閉ざしてますます深みにはまっていく。夢見ていたはずが、自由を謳歌していたはずが、孤独になり心を失い人間らしく生きられなくなってしまうこともある。こんなことを続けていたらおかしくなってしまうって、分かっていてもどうして良いか分からない。こんなときは、人の愛情に触れて凍りついた心を溶かしてもらうのが一番だ。思い切って心を開けば、つらいことも少しはあるかもしれないけど、その先には希望の光も見えてくる。

 これは、誰かが「ならず者」に語りかけている訳じゃないって思いたいね。ならず者が自分に語りかけて、まともに生きるための勇気を持とうとして、でもなかなかできないでいる寂しさを歌っているんだと思いたいよ。そしてこの歌を聴く人は、この歌詞の内容を自分に言い聞かせて、やはり人間らしく幸せに生きる勇気を持とうとしているんだと思う。だからこの歌は、多くの人に愛されるんだ、たぶんね。

Eagles - Desperado (Live)


Malene Mortensen - Desperado

 

音楽のタカラモノ(5)You've Got a Friend

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 これはキャロル・キングの名曲です。あまりに有名な曲ですから、どこかで一度は聴いたことがあるんじゃないかな。大切な曲だと思っている人も多いはず。僕は学生の頃、ジェームス・テイラーのレコードで、すり切れるほど聴きました。ギターの弾き方を一生懸命覚えて、変な声で歌っていたこともあります。だから僕にとってはジェームス・テイラーが歌うこの曲が心に刷り込まれてしまっているんですね。キャロル・キングの歌を聴くと僕は心の奥で、いいね、でもちょっと違うんだなー、って言ってます。つくった人が歌っているのにね、変だね。
 歌詞の内容は、簡単な英語でだれでも分かると思うし、おおよそあってれば細かいこと気にする必要ない。心が折れた時や困った時は呼んでくれればすぐいくよ、友達なんだから、ってな意味だけど、こういう単純でストレートな友情表現って、たまらなくうれしかったりするね。普通は言ってくれないからね。現実の友達っていうのは、こんなにやさしいことは言ってくれない。言ってくれてたとしても、雨でも雪でも台風でも冬でも春でも夏でも秋でも昼でも夜でも一年中OK、走っていくよ、なんてことはない。さすがに、殺されるー!なんて時は来てくれるかな?警察呼ぶかな?
 友達って、それこそ生涯の親友から知り合い程度の友達までたくさんある。自分は友達がたくさんいる、っていう場合は、大概は知り合い程度の友達のことじゃないのかな。自分は友達がいない、っていう場合は、悩みや困ったことを相談したりよく行動を共にしたりするようなある程度の近さのある知り合いがいないってこと?冷めた見方をすると、だいたい人間なんて一人で生まれて一人で死んでいくんだし、全く別個の人間を100パーセント信じるなんてことはない、所詮友情なんてのは感傷的な錯覚なんだよ、ということになる。でもその冷めた見方の方が、真実に近いんじゃないかと思う。人は、周囲からどのように見られたとしても、孤独なんだと思う。
 アメリカなんかじゃ、個人としての意識がしっかりできてるだろうから、かえって遠くの親戚より近くの友人的なものが強いのかもしれない。一人で生きていくことのつらさ寂しさは僕らより何倍も強く感じているんだと思う。日本だと家族の存在がまだまだ強いから、両親や兄弟姉妹が力になってくれる場合が多いのかな。日本は狭いからすぐ来れる場合が多いし。過干渉の親が、来るなって言っても来るし。で、うるさいのが来るとさらに孤独になったりして。
 だからこれは、いわば理想としてのあるべき友の姿を歌っているので、それでこんなに名曲として歌われているんじゃないだろうか。こんな友達、あり得ない!でも、本当にこんなことしてくれなかったとしても、優しい言葉をかけてくれるだけで、救われる時だってある。いつでもいくよって言ってくれるだけでも、いつもそばにいるよっていってくれるだけでも、勇気をもらえる時だってある。友達がいなくたって、この歌を聴いてジェームス・テイラーやキャロル・キングやその他たくさんのアーチスト達が君の友達だよって言ってくれたら、生きる力がわいてくるんだ。この歌はそういう歌なんだと思う。
 個人的にはジェームス・テイラーの歌声が僕の頭に刷り込まれてしまっているから、この歌はジェームス・テイラーしかないと思っていたんだけど、ダニー・ハサウェイを聴いてそれを改めた。ゴスペルみたいで、直接的に力を与えてくれる。僕はこの二人はどちらも大好きだけれど、好きになったきっかけはどちらもこの曲なんだ。
 

James Taylor-You've got a Friend


Donny Hathaway - You've Got a Friend


 

音楽のタカラモノ(4)The Rainbow Connection

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2001年のテレビドラマ主題歌だった。「恋がしたい恋がしたい恋がしたい」って、知ってる?僕は別にそのドラマを見ていた訳じゃない。でも、聞いた瞬間にはっと思った。そういうことってあるよね。出会っちゃったともいう。ビビビってきたともいう。この曲に何か感じちゃったんだね。その時からこの曲が頭の中でぐるぐる回り始めたんだ。これ、カーペンターズの曲なんだ。カーペンターズは言いようがなく素晴らしいよね。どの曲も頭に残っちゃうね。あれ、カレン・カーペンターの声が素晴らしすぎるし、リチャード・カーペンターのアレンジがまた素晴らしいね。やっぱり二人そろって素晴らしさ倍増みたいな。
 この曲のオリジナルは、ザ・マペット・ムービーの主題歌だったそうで、カエルのカーミットが歌ってます。聞いてみると、こっちの方が奥深い。味があります。カーペンターズのは、カレンの声で魅了されてしまうところが大きいけど、どちらもいいです。さらに作曲したポールウィリアムス(ケネス・アシャーとの共作?)が歌ってるのは、また渋い。おじさんの声だけれど、節回しに独特の雰囲気がある。いろんな人がカバーしてるみたいだ。子ども向けの歌だけど、大人の心にも響く曲だね。そう、大人は大きな子どもだからね。ただ子どものころの心をちょっと忘れているだけだから、こういう曲を聴くと思い出してしまうんだね。
この歌も、なかなか日本語にするのが難しいみたいで、いろんな訳がネットにあるけど、どうなんだろうね。タイトルも、「レインボウ・コネクション」としてるのは、日本語にするのが難しくて訳せないからかな。コネクションて、コネのことで、つながりとか接続とか関係とか組織仲間とか。でも、どれもぴったりくるのがないような。映画のフレンチ・コネクションのような、密売組織みたいな感じなんだろうか?虹の秘密組織だ。虹の魔法にかかった人だけの秘密の組織。組織と言ったって、なんとか協会みたいに名前があったり事務局があったりする訳じゃない。目が合えばそうだって分かりあえてしまうような、そんな組織だ。虹の秘密を知っている人たちの形のない秘密の組織だ。現実世界の中で、見えない何かを信じたり夢や希望を抱いたりする人たちが、現実にあるもの見えるものしか信じない社会の中で、密かに勇気や希望や夢を分かち合っているんだ。僕としては「仲間」くらいが近いかなって思う。「虹の仲間」。恋人達、夢見る人、僕。見えない力を信じている人たちだ。だから、もちろん君だってレインボウコネクションに入ることはできるんだ、って。
まあ、そんな風に勝手にこの曲を聴いています。
 

Muppet Movie - The Rainbow Connection


Carpenters - The Rainbow Connection



レインボウ・コネクションを僕はこんな風に聴いた。

虹の歌ってどうしてこんなにたくさんあるんだろう。
虹の向こう側には一体何があるんだろう。
虹は目に見えるけどただの幻影、
そういう風にいわれているし、そう信じた人もいる。
でもそれは違うよ、今に見ていて。

朝の明星に願い事をするときっと叶えられるって、誰が言ったんだろう。
そうかもしれないって思う人もいるし、それを信じている人もいる。
でも見て、みんな願い事して夢が叶ったんじゃない?
だから僕らが明星を探すのは驚くようなことじゃないし、
明星を見たら願い事をしたいと思わないかい?

僕らはみんな呪文をかけられているんだ。それはたぶん虹の魔法なんだ。

夢うつつのとき、あの声を聞いたことある?
僕は自分の名前が呼ばれているのを聴いたんだ。
これは若い船乗りを誘惑するというあのすてきな音なのかな?
あの声はきっとそれと同じなんだ。
何度も何度も聴いたからその声のことを忘れられないんだ。
たぶんその声は僕が思っていたとおりのものさ。

いつか僕らは虹の仲間を見つけるよ。
恋人達や、夢見る人達、それに僕、みんな虹の仲間なんだ。


Rainbow Connection - Paul Williams - Yo Gabba Gabba!










 

音楽のタカラモノ(3)Teach Your Children

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クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングが特別好きな訳じゃないんです。街中で親子づれなんか見ると、この曲が突然浮かんでくることがあるんです。そうです、小さな恋のメロディーのエンディングで使われた曲です。僕の世代の人間ならだれもが覚えているあの映画。何と言ってもトレイシー・ハイドが可愛かった。マーク・レスターもジャック・ワイルドも可愛くてかっこ良かった。いろいろな家庭環境の暮らす子供達が、親や教師たちの押し付ける価値観や生きることの難しさにおびえたり苦しんだりしながら、子供染みたかわいらしい夢を実現しようとする姿が自然に描かれていた。ビージーズの美しい曲ではなくて、この曲なんですね。エンディングだったから印象が強かったのかも。外国ではあまり受けなかったみたいだけど、日本では大ヒットで、きっと日本なんかは建前と本音を使い分ける傾向が強くて権力的な社会だから、既存の権威や価値観に対する反抗的な構図のものは受けるんだろうね。普段の不満を代弁してもらうみたいで。それに小学生くらいの子供たちの目線で描くと、大人の苦しみや子供の悲しみがやさしさを持って一層よく引き出せるんじゃないか。高校生くらいになると、かなりシリアスになってくるし。車を爆破するなんて、高校生がやったら警察が飛んでくるよ。今の日本なら小学生がやっても警察に逮捕されて全国ニュースだ。最後の子供達を止めようとする先生と子供達の入り乱れる場面は、コミカルに描かれていて微笑ましい。あれはファンタジーみたいだ。あのコミカルな表現は、大人も子供も同じなんだという視線なんだね。どちらかが上だとか悪いとかになると、力で押さえつけたり服従したり深刻になってしまう。どちらも悪くないんだ。子供も大人もこの人生を生きる中の一つの季節でしかないって、そんな大きな人間に対する愛情がこの映画から感じられたから、いつまでも人気があるんじゃないだろうか。僕もいまは映画の漠然とした印象しか残っていないけど、CSN&Yのこの曲を聴くと、自分は大人の格好をした子供だよなんていって自分が子供の頃のいろんな思い出が蘇ってくるんだよね。そして、僕の親はなぜあんなことをしたり言ったりしたのか、僕は子どもに何をしてあげられたのかって。今僕はどの辺を生きているんだろう?死んじゃうまでに、真実って見つかるのだろうか。

 

Crosby, Stills, Nash & Young - Teach Your Children




英語の歌の歌詞って、しっかり意味が分からなくても雰囲気で聞いちゃうところがあるね。でも、ほんとはどうなのって思って、ネットで調べてみると、えーそんな意味なのっていうようなのが、結構あるね。各人がそれぞれの思いで聞いていればいいようなものだけど、ちょっと気になるときもある。この歌って、規則や決まり事を守れとか夢を語れとか、子育てをしろというような歌じゃないよね。生きるためには規則や決まり事が必要だけど、過去にはさよならをして本当の自分に戻って、子どもに夢を見させてあげてほしい、若い君はまだ怖さをあまり知らないからその力で親を助けて、夢を見させてあげてほしい。人生には苦しくて悲しいことが多いけど、ゆっくりと過ぎてゆくものだから。時にはすれ違うことがあっても、親は子どもを、子どもは親を愛しているんだよ。ってな意味なんじゃないかな。違ってたら、まぁ、僕だけの思い込みってことで。
 

 

音楽のタカラモノ(2)Close to you

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先週のthe water is wideが好評だったので、心に強く残る音楽を記録しておこうと思った。音楽らしいものを聞いたはじめは、小学生の頃だったかな。その頃テレビでも番組が流れていたモンキーズ。初めて買ったLP(LPレコード)は、モンキーズだったと思う。(ちなみに初めて買ったシングルレコードは、帰ってきた酔っぱらいだったかな?フォーククルセイダーズ!)その頃から雑食的にいろんな音楽を聴いてきた。懐かしい思い出、タカラモノだ。それで、ふと思いついて、思い出とともに強く記憶に残っている曲を記録しておこうと考えた。もう年だね、こんなこと考えるようじゃ。でも、形にしたかったんだ。自分が見えてくるかなって思って。

そこで、今日は何の曲にしようかなと考えた。何でもいいけど、帰ってきた酔っぱらいだと少し詩情に欠ける。モンキーズもいいけど、なぜか今日はカーペンターズの曲が浮かんできた。カーペンターズは、その当時特に好きではなかったけど、時を経るに従って心にしみてくる。染みすぎて涙が出てくる、。年を取ると涙腺が緩んでくる。カレン・カーペンターの声が良すぎる。拒食症で亡くなったときは衝撃的で大ニュースだった。あの声を世界は永遠に失った、というくらいの損失だ。大げさ?でも本当さ。
カーペンターズのすてきな曲はたくさんありすぎて困る。close to you、まずは。この曲、特別何かの記憶と結びついてる訳じゃないけど、バート・バカラックとつながっていて好みに合うのかな。アレンジがまた素晴らしいね。トランペットで、パッパッパーってところ、バカラックっぽい。中学生になった頃だったか、ディオンヌ・ワーウィックが歌うバカラックの曲がなぜか(好き嫌いは理由ってあまりないよね)気に入って良く聞いていて、それに重なっていて。バカラックは映画音楽でいい曲たくさんあったし。でも、人を好きになるとか、恋しいとか、女の子の切ない思いが、単に女の子の感情じゃなくて、人を愛したり大切に思ったりするやさしい気持ちが純粋な形で現れていると思う。だから、自分もやさしい気持ちになったりすると、この曲が浮かんできて、切ない気持ちになったり悲しい気持ちになったりする。そんな曲です。ちょっと乙女チックかな?

 

Carpenters - Close to you




では、また。

 

マッサンでエリーが歌う曲 water is wide

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今日マッサンで歌ってた歌、water is wide 
大好きな曲の一つで、ちょっとうれしかった。反面、使ってるな、という気もした。
花子とアンでも使ってたらしい。スコット先生が恋人を思って歌う歌。そうだっけ?
とにかくいい曲だ。うれしく、悲しくなる。このメロディーだけで、人間が生きることはってひとくくりで理解できちゃうような感じ?スコットランドの民謡だそうですが、民謡って言いたくない感じです。
ピーターポール&マリーが there is a ship というタイトルでこの曲を使っていたというのを聞いた。反戦ソングなのかな?
私はPPMが歌っているのは聞いたことがなかった、私たちの前の世代なんだね。
私が聞いたのは、カーラ・ボノフの名盤で。ネットで見ると今までに多くの人がカバーしているみたいだね。
私の好きなジェームス・テイラーも歌ってたっけ。

The Water Is Wide Karla Bonoff



from album "restless nights"
ギター:カーラ・ボノフ、ジェームス・テイラー、ベース:ケニー・エドワーズ、アコーディオン:ガース・ハドソン、バッキングボーカル:ジェームス・テイラー、J.D.サウザー、だそうです。

James Taylor The Water Is Wide



どこかのライブみたいですが、詳細不明。