青汁・遠藤語録(46)



 仙人の教え(仙道)について書いた『仙語録』なる書に、著者・玄道子の「冬季における一日の大筋」という項があるが、そこには、<食は暮れの六時に一回、門生持参の生野草(冬はハコベラ)と、長命の四果(松の実・クルミ・ハシバミ・カヤの実)をとり、穀類は、時に巨勝(ゴマ)を服するため麦粉を若干。あとは仙人茶を喫するだけで、十八時間働き続け、睡眠は六時間である>
 と書かれている。このほか、仙道の原典などを見てみると、どうやら仙人食の特徴は純菜食であるらしい。野草や木の実、ゴマや大豆なとが主食となっており、それらすべてが山野自生のものか、あるいはみずからの手で作ったもののようだ。つまり、自然・安全な食事である。
(遠藤仁郎著「もっと緑を!」より)

日々の戒め(311)



七十五歳にもなるとときには、死について考えてみないわけにはいかない。死を考えても私は、泰然自若としていられる。なぜなら、われわれの精神は、絶対に滅びることのない存在であり、永遠から永遠に向かってたえず活動していくものだと固く確信しているからだ。それは、太陽と似ており、太陽も、地上にいるわれわれの目には、沈んでいくように見えても、実は、けっして沈むことなく、いつも輝き続けているのだからね。
(ゲーテ)

青汁・遠藤語録(45)



 私たちの体同様、青葉はひとつの工場である。しかも、複雑きわまる生化学工場だ。花が咲く、実を桔ぶ−食べ物や薬、木材や繊維、あるいは毒物など、ここでは植物界のあらゆるものが作られている。しかも、それに要する動力は太陽。材料は大地、水、空気のほか何もない。それにもまして驚くべきことは、これほど膨大な作業がおこなわれているにもかかわらず、廃棄物がない。まことに巧妙精緻、神業というほかない。ただただ驚嘆するのみだが、この不可思議な自然の働きにあずかっているのが、葉の中に合まれるビタミン・ミネラルなのだ。
(遠藤仁郎著「もっと緑を!」より)

青汁・遠藤語録(44)



緑の葉が草食動物の唯一の食べ物であることからわかるように、ナッパには彼らが生きるため必要な栄養分が、完全にそなわっているのである。豊富なビタミン、ミネラルは、とかく不足がちな私たちの日常食のそれらを補って充分に余りある。言い換えるなら、ナッパなしに私たちの栄養を完全にすることはできないのだ。体中のすべての細胞・組織・臓器の働きを完全にして、体力と免疫力を盛り上げ、健康な生命を維持するものは、ナッパ・青汁のほかにない。
(遠藤仁郎著「もっと緑を!」より)

日々の戒め(310)



性に合わない人たちとつきあってこそ、うまくやっていくために自制しなければならないし、それを通して、われわれの心の中にあるいろいろな側面が刺激されて、発展し完成するのであって、やがて、誰とぶつかってもびくともしないようになるわけだ。
(ゲーテ)

青汁・遠藤語録(43)



長生きできるかどうかは、たしかに一つには生まれつきによるだろう。けれども、頑健そのものといったた生まれでも、扱い方がよくなけれは、体は早くだめになる。反対に、たとえ生まれつきはひ弱くとも、扱い方しだいでは長持ちさせることができる。この“扱い方”には、もとより人生諸般のあらゆることがらが関係するわけだが、中でもおそらくもっとも大きい影響を持っているのは、毎日の食べ物飲み物に相違あるまい。
 肉食でなく、緑葉食。美食でなく、粗食少食。ナッパ 青汁を続けることこそが、健康長寿の秘訣にほかならない。私は心からそう信じている。
(遠藤仁郎著「もっと緑を!」より)

日々の戒め(309)



優秀な人物のなかには、何事も即席ではできず、何事もお座なりにすますことができず、いつも一つ一つの対象をじっくりと深く追求せずにはいられない性質の持ち主がいるものだ。このような才能というものは、しばしばわれわれにじれったい気を起こさせる。すぐさまほしいとねがうものを、彼らはめったにみたしてはくれないからだね。けれども、こういう方法でこそ、最高のものがやりとげられるのだよ。
(ゲーテ)

青汁・遠藤語録(42)



 肉食といえば、通常は穀物食に肉類を多く添えることを意味する。そして、牛や豚や鳥や魚などの切り身をとるであろう。筋肉だけを食べ、ほかの部分はあまり食べないというやり方である。これだとタンパク質や脂肪はたっぷりあるが、その体内処理(代謝)に必要なミネラルやビタミンは、ほとんど含まれない。つまり、"血のにごり”を招きやすい不完全な食事だ。
(遠藤仁郎著「もっと緑を!」より)

日々の戒め(308)



私の切なる願いは、けっして怒らないこと、常に真実を語ること、しかもそれを愛情を持って、何人をも傷つけないように語ること、忍耐心のない人々に忍耐を持って接すること、情欲に没する人々のなかにあって情欲から自由であること、以上が私の切なる願いである。
(「法句経」)

日々の戒め(307)



叡智は孤独裡の精神活動によって、また人なかで汝自らを思うことによって獲得される。
(トルストイ)