中原中也(5)




憔 悴

私はも早、善い意志をもつては目覚めなかつた
起きれば愁はしい 平常のおもひ
私は、悪い意思をもつてゆめみた……
(私は其処に安住したのでもないが、其処を抜け出すことも叶はなかつた)
そして、夜が来ると私は思ふのだつた、
此の世は、海のやうなものであると。
私はすこししけてゐる宵の海をおもつた
其処を、やつれた顔の船頭は
おぼつかない手で漕ぎながら
獲物があるかあるまいことか
水の面を、にらめながらに過ぎてゆく

   
昔 私は思つてゐたものだつた
恋愛詩なぞ愚劣なものだと

今私は恋愛詩を詠み
甲斐あることに思ふのだ

だがまだ今でもともすると
恋愛詩よりもましな詩境にはいりたい

その心が間違つてゐるかゐないか知らないが
とにかくさういふ心が残つてをり

それは時々私をいらだて
とんだ希望を起させる

昔私は思つてゐたものだつた
恋愛詩なぞ愚劣なものだと

けれどもいまでは恋愛を
ゆめみるほかに能がない

   
それが私の堕落かどうか
どうして私に知れようものか

腕にたるむだ私の怠惰
今日も日が照る 空は青いよ

ひよつとしたなら昔から
おれの手に負へたのはこの怠惰だけだつたかもしれぬ

真面目な希望も その怠惰の中から
憧憬したのにすぎなかつたかもしれぬ

あゝ それにしてもそれにしても
ゆめみるだけの 男にならうとはおもはなかつた!

   
しかし此の世の善だの悪だの
容易に人間に分りはせぬ

人間に分らない無数の理由が
あれをもこれをも支配してゐるのだ

山蔭の清水のやうに忍耐ぶかく
つぐむでゐれば愉しいだけだ

汽車からみえる 山も 草も
空も 川も みんなみんな

やがては全体の調和に溶けて
空に昇つて 虹となるのだらうとおもふ……

   
さてどうすれば利するだらうか、とか
どうすれば哂はれないですむだらうか、とかと

要するに人を相手の思惑に
明けくれすぐす、世の人々よ、

僕はあなたがたの心も尤もと感じ
一生懸命郷に従つてもみたのだが

今日また自分に帰るのだ
ひつぱつたゴムを手離したやうに

さうしてこの怠惰の窗の中から
扇のかたちに食指をひろげ

青空を喫ふ 閑を嚥む
蛙さながら水に泛んで

夜は夜とて星をみる
あゝ 空の奥、空の奥。

   
しかし またかうした僕の状態がつづき、
僕とても何か人のするやうなことをしなければならないと思ひ、
自分の生存をしんきくさく感じ、
ともすると百貨店のお買上品届け人にさへ驚嘆する。

そして理窟はいつでもはつきりしてゐるのに
気持の底ではゴミゴミゴミゴミ懐疑の小屑が一杯です。
それがばかげてゐるにしても、その二つつが
僕の中にあり、僕から抜けぬことはたしかなのです。

と、聞こえてくる音楽には心惹かれ、
ちよつとは生き生きしもするのですが、
その時その二つつは僕の中に死んで、

あゝ 空の歌、海の歌、
ぼくは美の、核心を知つてゐるとおもふのですが
それにしても辛いことです、怠惰をのがれるすべがない!

日々の戒め(7)



私たちは、生が残酷なもので、死が避けられないものであることを、悲嘆を通してではなく、この絶望的な事実を味わい尽くしながら、まず私たちの心に受け入れなくてはなりません。自然の残忍さや無意味さをすべて私たちの心に受け入れたときにはじめて、私たちはこの自然の生の無意味さと対決して、それを力ずくで意義のあるものにすることに着手できるのです。これこそ人間にできることのうちで最も価値のあることであり、人間にできる唯一のことです。そのほかのことは、家畜の方がずっとうまくやっています。(ヘルマン・ヘッセ)

めだか



いつものように、志お川さんでおでんを食べようと歩いてると、おばさんがバケツをもって道路を渡っています。どうしたのか聞くと、めだかを日陰に連れて行ってあげるのだと言います。よく見ると、布袋葵の陰に小さなめだかがチロチロと…。この暑さで、めだかも日陰のできる道路の反対側に避暑のようです。子どもの頃、家の前を流れる用水の小さな川には、めだかがいたっけ。人家を離れれば、蛍だっていました。日本は、つまらない国になっちゃったなぁ。(ちょっと大げさ?)(水槽じゃなくてバケツでめだか飼うのもいいなぁ)

中原中也(4)



少年時

黝い石に夏の日が照りつけ、
庭の地面が、朱色に睡つてゐた。

地平の果に蒸気が立つて、
世の亡ぶ、兆のやうだつた。

麦田には風が低く打ち、
おぼろで、灰色だつた。
 
翔びゆく雲の落とす影のやうに、
田の面を過ぎる、昔の巨人の姿――

夏の日の午過ぎ時刻
誰彼の午睡するとき、
私は野原を走つて行つた……

私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦めてゐた……
噫、生きてゐた、私は生きてゐた!

日々の戒め(6)



生活をもてあそぶものは、
決して正しいものになれない。
自分を命令しないものは、
いつになっても、しもべにとどまる。
(ゲーテ)

中原中也(3)



帰 郷

柱も庭も乾いてゐる
今日は好い天気だ
    縁の下では蜘蛛の巣が
    心細さうに揺れてゐる

山では枯木も息を吐く
あゝ今日は好い天気だ
    路傍の草影が
    あどけない愁みをする

これが私の故里だ
さやかに風も吹いてゐる
    心置なく泣かれよと
    年増婦の低い声もする
あゝ おまへはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云ふ

台風7号去る



昨日から静岡に雨を降らせていた台風7号ですが、上陸もせず、今は千葉の房総半島の方に抜けていったようです。たいした被害もなさそうで、それはそれでよかったのですが、青汁スタンドの売上げには大きな影を落としていったのでした。だいたい、雨が降るだけで売上ダウン、台風となるとこれはもうお手上げです。自宅にいる人は外に出ないし、会社勤めの人は、雨がひどくならないうちにと急いで帰宅するし…。今日は、午後から天気もよくなりましたが、静岡商業が甲子園でがんばっているし、夜はオシムジャパンが東洋の神秘でがんばるし…。うむむ。

日々の戒め(5)



おもしろみのない、あるいは醜いものでさえも、あらゆるものが見るに値する面をもっています。私たちが見ようとする意志を持たなくてはいけないだけなのです。(ヘルマン・ヘッセ)

日々の戒め(4)



半時間くらいでは何もできないと考えているより、世の中で一番つまらぬ事でもする方がまさっている。(ゲーテ)

中原中也(2)



頑是ない歌

思へば遠く来たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いづこ

雲の間に月はゐて
それな汽笛を耳にすると
竦然として身をすくめ
月はその時空にゐた

それから何年経つたことか
汽笛の湯気を茫然と
眼で追ひかなしくなつてゐた
あの頃の俺はいまいづこ

今では女房子供持ち
思へば遠く来たもんだ
此の先まだまだ何時までか
生きてゆくのであらうけど

生きてゆくのであらうけど
遠く経て来た日や夜の
あんまりこんなにこひしゆては
なんだか自信が持てないよ

さりとて生きてゆく限り
結局我ン張る僕の性質
と思へばなんだか我ながら
いたはしいよなものですよ

考へてみればそれはまあ
結局我ン張るのだとして
昔恋しい時もあり そして
どうにかやつてはゆくのでせう

考へてみれば簡単だ
畢竟意志の問題だ
なんとかやるより仕方もない
やりさへすればよいのだと

思ふけれどもそれもそれ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気や今いづこ