日々の戒め(120)



自然観察ではいつも、
すべてと同様に個を注意しなければならない。
何ものも内になく、何ものも外にない。
内にあるものは外にあるものだから。
さらばためらわずつかめ、
聖なる明らかな秘密を。

真のあらわれを楽しめ、
厳粛な遊戯を楽しめ。
およそ生きているものは一ではなく、
常にそれは多である。
(ゲーテ)

日々の戒め(119)



われわれはみんな、他人の中に、自分自身の罪悪や欠点やいろんな悪癖やをはっきり写しだす鏡をもっている。しかしその場合、われわれのほとんどが、自分が写っている鏡を見て、他の犬だと思って吠える犬のように振る舞うものである。
(ショーペンハウエル)

日々の戒め(118)



他人の言葉に耳を傾け、注意深くあれ、しかして少なく語れ。
問われない場合は決して話すな。もし問われたら直ちに簡潔に答え、問われたことを知らない場合は、恥ずかしがることなく知らないというがよい。
論争のための論争はするな。
ほらを吹くな。
高い地位を求めず、それを提供されても受けるな。
どうでもいいような事柄、つまりいずれにせよ自分の義務に反することや、しなくていい事柄の場合は、世間の習慣や、ともに暮らす人々の希望に従って行動するがよい。
自分の義務でもないことで、ともに暮らす人々にも利することのない事柄に、ことさら手を染めないがよい。そうした習慣は往々偶像となってしまう。われわれはみんな、己の偶像を破壊しなければならないのだ。
(スーフィー)

白鷺爺 大いに語る



白鷺爺
「あ〜、いい天気じゃ。春は来たのかのぉ。このあたりもだいぶかわってしまったが、春は必ず毎年やってくるからのぉ。昔はああっだった、こうだったなんて言うと、年寄りの戯言のように言われるかも知れんが、今のこの世の中じゃ、昔を懐かしみたくなるのも無理はないのぉ。このあたりは安倍川の水が流れ込む沼地で、人の背を越す葦が一面に広がっておった。そして南に向かって田んぼが広がり、淡い紅の色をした蓮華畑がどこまでも続いておった。蓮華の花に埋もれて空を見あげれば、青い空に少し薄い雲は流れ、花や草や土やいろんなもののにおいがし、蜂や蝶や名も知らぬ虫たちが蠢き、小川のせせらぎ、鳥のさえずり、たしかにそこには春があったものじゃ。コンクリートで固められたこの用水には、春は来たのじゃろうか?安全で、便利にはなったようじゃが、そのかわりに大切なものは無くしてしまったようじゃ。皆の心もこのコンクリートのように固くてしっかりとしているようじゃが、冷たく頑なで、全てを拒否しておる。便利で快適で、安全で安心するものを求める気持ちはわれらの本性ではあるが、安易に流されれば、われわれは心を失うことになる。からすAはだからこそ、雀に戦いを仕掛けようとしたのじゃ。戦いは悲惨ではあるが、そのとき意識は極めてリアルじゃ。リアルな意識が実現されるその瞬間にからすとしての神性が獲得できると考えたのじゃな。現代のからすは安易な生活に染まりきって堕落しておるから、だれが戦いなどするものか。じゃが、意識的な生を生きることによって、われわれは人生の目的を実現することができるのであるから、一人からすの問題ではないのじゃ。戦いをせずとも、リアルに生きる方法を探求せねばならないのじゃ。お〜っ、あそこでからすAが考え込んでおるのぉ。よし、今度意見してやろう。とりあえず、今はエサ探しじゃ。このあたり最近コンビニが次から次へとつぶれておる。不便じゃ。」

日々の戒め(117)



知識の貧弱な者はよく喋る。知識の豊富な者はたいてい黙っている。それはなぜかと言えば、少ししか知らない者は、自分の知っていることは非常に大事なことだと思ってみんなに話したがるし、一方多くを知っている者は、自分の知っていること以外にもっともっと知るべき多くの事柄があることがわかっていて、他人に訊かれたときだけ話して、訊かれなければ黙っているからである。
(ルソーによる)

日々の戒め(116)



めいめい自分の戸の前を掃け、
そうすれば、町のどの区も清潔だ。
めいめい自分の課題を果たせ、
そうすれば市会は無事だ。
(ゲーテ)

日々の戒め(115)



汝の目を偽りの世よりそらし、五官の誘いを退けよ。五官は汝を欺くであろう。むしろ汝自身の中に、個我を没却した汝自身の中に永遠なる人間を探し求めよ。
(仏陀の言葉)

日々の戒め(114)



人間はけだかくあれ、
情けぶかくやさしくあれ!
そのことだけが、われらの知っている
一切のものと
人間とを区別する。
(ゲーテ)

日々の戒め(113)



人間の最大の値打ちは、人間が外界の事情にできるだけ左右されず、できるだけこれを左右するところにある。世界の一切は、建築家の前にある大きな石切場と同じように、われわれの前に横たわっている。建築家の本領は、この偶然自然の石塊から、できるだけ経済的に、目的にかなうように、しっかりと、自分の心の中に生じた原型を作りあげるところにある。われわれの外部にある一切のものは要素に過ぎない。否、われわれにくっついている一切のものも要素に過ぎないといってよいだろう。しかし、われわれの奥深くには、あるべきものを創りだすことのできる創造力がある。その力は、われわれが、あるべきものを、われわれの外部に、あるいはわれわれの身辺に、何らかの方法で現わすまでは、われわれを安らかにさせない。
(ゲーテ)

日々の戒め(112)



すぐれた人で、即席やお座なりには何もできない人がある。そういう人は性質として、その時々の事柄に静かに深く没頭することを必要とする。そういう才能の人からは、目前必要なものをめったに得られないので、われわれはじれったくなる。しかし、もっとも高いものはこうした方法でのみつくられるのである。
(ゲーテ)