掲示板



掲示とは、人に伝えるべき事柄を紙などに書いて掲げ示すことを言います。この掲示板は私設のものだと思われますが、公衆が通行する歩道に向けて設置されていることから、何かを広く公衆に伝えようしたと推測されます。その“何か”が何であるのか…。四枚の掲示物のうち左下は、「テニスしましょうよ」と書かれた、プライベートレッスンの案内・募集です。受けてみようかな、という気になりそうにない案内ですが、目的は明確です。他の3枚の絵は、考えさせられます。絵の美しさを理解してもらおうとしているのか、レッスン案内を引き立たせるための単なる飾りか、あるいは、通行人の心を和ませようとしているのか…。左上の絵は、小島功のようで、子どもの頃に見た色っぽいテレビコマーシャルを思い出して、心が和みました。掲示板のつくりも凝っています。

日々の戒め(10)



一つところに執着するな、
元気よく思い切って、元気よく出よ!
頭と腕に快活な力があれば、どこに行ってもうちにいるようなもの。
太陽を楽しめば、
どんな心配もなくなる。
この世の中で気晴らしするように
世界はこんなひろい
(ゲーテ)

中原中也(8)



正 午
 丸ビル風景

あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
月給取の午休み、ぷらりぷらりと手を振つて
あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口
空はひろびろ薄曇り、薄曇り、埃りも少々立つてゐる
ひよんな眼付で見上げても、眼を落としても……
なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな
あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口
空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな

おみくじ 



その神社は、天明五年創建。疫病除けの神として素戔鳴尊を勧請したものだそうです。戦前、戦中に2度焼失し、今では、高さ2メートルほどのコンクリートの台(下は駐車スペース)の上が境内になっていて少し窮屈そうです。おみくじの看板は、ごく普通のように見えますが、「五枚に一個の割で」のところが妙に気になって、写真を撮りました。その後も、日記に載せようかどうか迷いましたが、「五枚に一個の割で」が気になってしょうがなく、とうとう載せることに。「五枚に一枚の割合で」が正しいのではないだろうか…。どうでもいいことだけど…、なぜか気になって…。幸運…、5分の一の確率か…。

中原中也(7)



言葉なき歌

あれはとほいい処にあるのだけれど
おれは此処で待つてゐなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼く
葱の根のやうに仄かに淡い

決して急いではならない
此処で十分待つてゐなければならない
処女の眼のやうに遥かを見遣つてはならない
たしかに此処で待つてゐればよい

それにしてもあれはとほいい彼方で夕陽にけぶつてゐた
号笛の音のやうに太くて繊弱だつた
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待つてゐなければならない

さうすればそのうち喘ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違ひない
しかしあれは煙突の煙のやうに
とほくとほく いつまでも茜の空にたなびいてゐた

日々の戒め(9)



快活さは、浮かれた気分でもうぬぼれの表れでもない。それは最高の認識から生じ、愛から生じる気分だ。それは現実の一切を肯定する気分であり、あらゆる形の深淵と破滅の縁に望んで、なお、目覚めている状態である。
(ヘルマン・ヘッセ)

中原中也(6)



夏の日の歌

青い空は動かない、
雲片一つあるでない。
  夏の真昼の静かには
  タールの光も清くなる。

夏の空には何かがある、
いぢらしく思はせる何かがある、
  焦げて図太い向日葵が
  田舎の駅には咲いてゐる。

上手に子供を育てゆく、
母親に似て汽車の汽笛は鳴る。
  山の近くを走る時。

山の近くを走りながら、
母親に似て汽車の汽笛は鳴る。
  夏の真昼の暑い時。

静岡夏まつり 夜店市



紺屋町、呉服町、七間町の各名店街合同の夜店市が昨日(8月11日)から始まりました。今年で44回目だそうで、そんなに長くやっていたかなぁ。ということで、昨日は店を閉めてからちょっとのぞきに行ってきました。そしたらなんと、すごい人出。ちょろちょろ歩いて写真なぞ撮っていたら、邪魔でしょうがない(私のこと)。なんであれ、こんなに人が集まるとはたいしたものです。でも、出ているお店はそれぞれのお店がバーゲンセールをやっているようなものが多かったです。あと、ビールや焼きそばの類は青葉公園に集中してたかな。“夏まつり”というのと少し違うと思ったけど、まぁ、これだけ人が集まればたいしたものです。13日(日)まで開催だそうです。

日々の戒め(8)



我々が不幸又は自分の誤りによって陥る心の悩みを、知性は全く癒すことができない。理性もほとんどできない。時間がかなり癒してくれる。
これにひきかえ、固い決意の活動は一切を癒すことができる。
(ゲーテ)

尼ヶ崎稲荷神社



その神社は、古びたビルと倉庫の間にありました。間口2メートルの細い路地の入り口には真っ赤な鳥居があり、この路地と外界とを分けてます。鳥居をくぐると、ここが表の通りとは明らかに違う空間であることに気付きます。足下のコンクリートにはぬめりとするこけが生え、湿気を含んだ空気が淀んでいます。10メートル程すすみ、神社が見えてくると、急に脇から背の曲がった斑の犬がぼうぼうと吠えたてて、進入者を威嚇します。路地の突き当たりの少し広がった空間は妖気が充満して、足がすくみます。社の数体の白い狐から発せられているような気がします。なぜ“尼ヶ崎”なのか。あまり深く詮索はしない方が身のためか。引き返すと、斑の犬は眼だけをこちらに向けて、ぼうと一声吠えたのでした。