スズメバチ



いつも青汁を飲んでくださるお客様から、「スズメバチに刺された」という話を伺いました。スズメバチといえば、子どもの頃野山を駆け回っていた私は「スズメバチに刺されると死んじゃうからな」と聞かされていて、最もおそれていたあのハチです。そのスズメバチに刺されてよく命があったものだと驚きです。この際スズメバチの恐ろしさをしっかり学んでおこう、とインターネットで調べて見ました。そしたらなんと、スズメバチは、その年生まれた女王バチだけが越冬するんだそうです。夏の間せっせと巣作りをした働き蜂やオスバチは、みんな死んでしまうのだそうです。厳しい世界だなぁ。(あまり恐ろしさと関係ありませんが、驚いたので…。それにしても、一人で越冬する女王バチも寂しそうだなぁ。「春になったら思いっきり遊んでやるわ」とか考えてるのかな。集団越冬する例もあるらしくて。「あのオスバチったらさぁ〜」なんて盛り上がっていたりして…。)

中原中也(9)



閑 寂

なんにも訪ふことのない、
私の心は閑寂だ。
    それは日曜日の渡り廊下、
    ――みんなは野原へ行つちやつた。

板は冷たい光沢をもち、
小鳥は庭に啼いてゐる。
    締めの足りない水道の、
    蛇口の滴、つと光り!

土は薔薇色、空には雲雀
空はきれいな四月です。
    なんにも訪ふことのない、
    私の心は閑寂だ。

日々の戒め(11)



やがてジョナサンは、カモメの一生があんなに短いのは、退屈と、恐怖と、怒りのせいだということを発見するにいたった。そしてその三つのもが、彼の心から消え失せてしまったのち、彼は実に長くてすばらしい生涯を送ることとなった。(リチャード・バック)

掲示板



掲示とは、人に伝えるべき事柄を紙などに書いて掲げ示すことを言います。この掲示板は私設のものだと思われますが、公衆が通行する歩道に向けて設置されていることから、何かを広く公衆に伝えようしたと推測されます。その“何か”が何であるのか…。四枚の掲示物のうち左下は、「テニスしましょうよ」と書かれた、プライベートレッスンの案内・募集です。受けてみようかな、という気になりそうにない案内ですが、目的は明確です。他の3枚の絵は、考えさせられます。絵の美しさを理解してもらおうとしているのか、レッスン案内を引き立たせるための単なる飾りか、あるいは、通行人の心を和ませようとしているのか…。左上の絵は、小島功のようで、子どもの頃に見た色っぽいテレビコマーシャルを思い出して、心が和みました。掲示板のつくりも凝っています。

日々の戒め(10)



一つところに執着するな、
元気よく思い切って、元気よく出よ!
頭と腕に快活な力があれば、どこに行ってもうちにいるようなもの。
太陽を楽しめば、
どんな心配もなくなる。
この世の中で気晴らしするように
世界はこんなひろい
(ゲーテ)

中原中也(8)



正 午
 丸ビル風景

あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
月給取の午休み、ぷらりぷらりと手を振つて
あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口
空はひろびろ薄曇り、薄曇り、埃りも少々立つてゐる
ひよんな眼付で見上げても、眼を落としても……
なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな
あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口
空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな

おみくじ 



その神社は、天明五年創建。疫病除けの神として素戔鳴尊を勧請したものだそうです。戦前、戦中に2度焼失し、今では、高さ2メートルほどのコンクリートの台(下は駐車スペース)の上が境内になっていて少し窮屈そうです。おみくじの看板は、ごく普通のように見えますが、「五枚に一個の割で」のところが妙に気になって、写真を撮りました。その後も、日記に載せようかどうか迷いましたが、「五枚に一個の割で」が気になってしょうがなく、とうとう載せることに。「五枚に一枚の割合で」が正しいのではないだろうか…。どうでもいいことだけど…、なぜか気になって…。幸運…、5分の一の確率か…。

中原中也(7)



言葉なき歌

あれはとほいい処にあるのだけれど
おれは此処で待つてゐなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼く
葱の根のやうに仄かに淡い

決して急いではならない
此処で十分待つてゐなければならない
処女の眼のやうに遥かを見遣つてはならない
たしかに此処で待つてゐればよい

それにしてもあれはとほいい彼方で夕陽にけぶつてゐた
号笛の音のやうに太くて繊弱だつた
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待つてゐなければならない

さうすればそのうち喘ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違ひない
しかしあれは煙突の煙のやうに
とほくとほく いつまでも茜の空にたなびいてゐた

日々の戒め(9)



快活さは、浮かれた気分でもうぬぼれの表れでもない。それは最高の認識から生じ、愛から生じる気分だ。それは現実の一切を肯定する気分であり、あらゆる形の深淵と破滅の縁に望んで、なお、目覚めている状態である。
(ヘルマン・ヘッセ)

中原中也(6)



夏の日の歌

青い空は動かない、
雲片一つあるでない。
  夏の真昼の静かには
  タールの光も清くなる。

夏の空には何かがある、
いぢらしく思はせる何かがある、
  焦げて図太い向日葵が
  田舎の駅には咲いてゐる。

上手に子供を育てゆく、
母親に似て汽車の汽笛は鳴る。
  山の近くを走る時。

山の近くを走りながら、
母親に似て汽車の汽笛は鳴る。
  夏の真昼の暑い時。