日々の戒め(210)



肉体のために生きる人間は、思弁的、あるいは感性的生活の錯雑した迷宮に迷ったりするが、霊は常に、誤ることなく真理を知っている。
(リュシー・マローリ)

日々の戒め(209)



人々は自分の生活の空しさを感ずるばかりに、あちこち駆けずりまわって満足を求める。しかしながら、自分たちを惹きつける新しい慰みの空しさに、まだ気づかないのである。
(パスカル)

日々の戒め(208)



人間は神に似ようと努力した。ところが僧侶が神を人間に似たものにしてしまったので、軽薄な人間の心はそうした神のイメージに満足してしまったのである。
(ダグー)

日々の戒め(208)



真の幸福はけっして一挙に獲得されるものでなく、不断の努力によってのみ獲得される。なぜなら真の幸福は、日々これ新たに完成への道を歩むことにあるからである。
(トルストイ)

日々の戒め(207)



常に歩度を伸ばし、常に前進せよ。けっして立ち止まったり、後退したり、わき路へそれたりしてはいけない。立ち止まったら、前へは進まず、歩みをやめたら後退し、腹を立てたらわき路へそれる。
もし現在の自分と違ったものになりたいと思ったら、常に自らに不満であれ。どこで止まっても、止まってしまったらもうおしまいである。もし、自分はもうこれで充分といったりしたら−ただ滅亡あるのみである。
(アウグスチヌス)

日々の戒め(206)



たとえ世間が君を非難しようとも、君は善良であるがよい。それは人々から褒められながら邪悪であるよりも、ましである。
(ロディ)

日々の戒め(205)



真理は単なる会話によって認識されるものではなく、働くことと観察することによって認識される。そして諸君が一つの真理を認識したとき、きっとほかの二つの真理が諸君の目の前に現われるであろう。
(ジョン・ラスキン)

日々の戒め(204)



この世で尊いものはただ一つ、絶えず世間の虚偽や不正と衝突を繰り返しながらも、倦まずたゆまず温柔であることである。
(マルクス・アウレリウス)

日々の戒め(203)



知恵に至る道はけっして百合の花の咲く芝生を通ってはいない。われわれは常に草木の生えていない絶壁をよじ登らねばならない。
(ジョン・ラスキン)

日々の戒め(202)



われわれはわれわれの肉体のために生きるべきでなく、いわば否応なしに肉体とおつきあいさせられながら、といった具合に生きなければならない。エピクロスは言う、「もしも諸君が自然に従って暮らすならば、諸君はけっして貧しいということはないであろう。もしも世間に広く行なわれている俗習に従うなら、けっして豊だということはないであろう。自然は少ししか求めないが、俗習は余計なものまで求める」と。
(セネカ)