日々の戒め(318)



人々は常にありとあらゆる幸福を求めて飽くことを知らない。しかしながら人間の手の届く最大の幸福は−自分自身の高き本性にしたがって行動することであり、汝の霊の、高尚な、神的本性は、汝に向かって、自分自身にとっての最大の幸福として、倦むことなく他人に善をなせと命じているのである。
(マルクス・アウレリウス)

青汁・遠藤語録(53)



青汁を飲んでいると……
 では青汁を飲んでいると、実際どうなるのか。どんな効用かあるのか。その具体的な例をいくつか挙げてみよう。
 まずは、食欲が増す。何を食べてもおいしい。ごちそうはもちろんだが、味のついてないような料理でも、けっこうおいしく食べられるようになる。
 そして、食べ物の好き嫌いもなくなる。偏食で弱かった子ともが、学校で青汁を飲み出してからおやつに不平をいわなくなり、なんでも食べるようになってめきめき丈夫になった、という例は少なくない。四季を通していつも食が進むので、夏バテしないばかりか、夏の間もぐんぐん体重が増えていく。
 だから痩せている人は太るわけだが、かといって大りすぎることは絶対にない。また太った人は、緑葉食なら腹いっぱい食べていても、しだいに痩せてくる。つまり、その人の適正体重で止まるということだ。(監修者注 これにより、生活習慣病の予備軍となること回避できるでしょう)しかも、体力はかえって強くなる。不完全な食事に戻ったりしなければ、リバウンドなど起こらない。とても安全 安価で確実なダイエット法なのである。
(遠藤仁郎著「もっと緑を!」より)

日々の戒め(317)



日々よりよき人間になろうと精進する生き方よりも良い生き方はなく、実際に自分がよりよき人間になりつつあることを感ずることよりも大きな喜びはない、と私は思う。これこそが私が今日まで絶えず味わってきた幸福であり、私の良心が私に向かって、これこそ真正の幸福であると語っている。
(ソクラテス)

日々の戒め(316)



低劣な人々に媚びへつらうよりは、生命を失うほうがましである。富者に仕えて贅沢するよりは、赤貧に甘んずるほうがましである。富者の門に立たず、哀願の声を上げないこと−これこそ最上の生活である。
(インドの教典)

青汁・遠藤語録(52)



ナッパ・青汁は病気にもよい。どうかすると、現代医学が手こずるような難病でさえ、冶ることがある。これも毒消し効果のあらわれといってよいだろう。というのは、どんな病気もそのもとは、不自然・不合理な生活と食の誤りによる血のにごりおよびそれによる中毒にあるからだ。ナッパ・青汁はその毒を消し、血をきれいにし、体中のはたらきをよくして生命力を盛り上げ、病気に対する抵抗力を高めるのである。
(遠藤仁郎著「もっと緑を!」より)

日々の戒め(315)



七十五歳にもなると、ときには、死について考えてみないわけにいかない。死を考えても、私は泰然自若としていられる。なぜなら、われわれの精神は、絶対に滅びることのない存在であり、永遠から永遠に向かってたえず活動していくものだと固く確信しているからだ。それは太陽と似ており、太陽も、地上にいるわれわれの目には、沈んでいくように見えても、実は、けっして沈むことなく、いつも輝き続けているのだからね。
(ゲーテ)

青汁・遠藤語録(51)



私が実際に経験したところでは、肺結核の新薬の副作用がひどいと困り果てていた人が、青汁を飲み出してから少しも障らなくなった。抗ガン剤や放射線治療の副作用が軽くすんだという話も、あちこちで聞いている。これらはいずれも、青汁の毒消し効果と思われる。
 手近なところでは、酒。これの毒も確かに消える。酔わないし、早く醒める。また悪酔いも二日酔いもしない。肝臓の働きがよくなるので、アルコールの分解が進むためであろう。タハコの害も、どうやらいくらかは減るらしい。飲んべえやタバコのみには、ありがたい話だ。
(遠藤仁郎著「もっと緑を!」より)

日々の戒め(314)



試みるがよい−おそらく君も、自分の運命に満足している人のように、愛と善行によって内的平安を獲得した人のように生きることができるであろう。
(マルクス・アウレリウス)

青汁・遠藤語録(50)



 白米・肉・魚介類・砂糖などカロリーの高い食べ物は、いわゆる滋養豊富な栄養価の高いものとされている。しかしこれらは、糖質・脂質・タンパク質に富んではいても、ミネラルが少ない酸性食品である。そこでこれらが過ぎると血は酸性に傾き、“血のにごり”を招くという話は前にした。それだけても体のためにはよくないが、そのうえビタミンも充分でないため、カロリー源の代謝がうまくいかず、中間の有害産物ができる。そしてさらに血がにごる。
(遠藤仁郎著「もっと緑を!」より)

日々の戒め(313)



成長とは緩やかな過程であって、爆発的に激しく起こる現象ではない。一つの学問全体を一瞬の爆発的思索によって究めることができないように、瞬間的な改悔によって罪を克服することは不可能である。内的完成の真の手段は、叡智に導かれた不断の忍耐強い努力のみである。
(チャニング)