日々の戒め(44)


photo by yoshihiro ohmura

現在を楽しめ、
未来のために自己を形成しながら。
(ゲーテ)

雀の学校



先日、愛犬ラッキーと散歩をしていたとき、眼にした光景です。川の柵の上に一列に雀が並んで、ちゅんちゅんと賑やかです。その向こうの端には、白鷺が一羽、雀の大騒ぎに動じる様子もなく佇んでいます。雀の学校という童謡を思い出します。“チイチイパッパ、チイパッパ、雀の学校の先生はむちをふりふりチイパッパ〜”というやつです(今歌詞をみると、“むちをふりふり”ってのはひどいですね。体罰か、児童虐待か…。でも、昔はそれに近い先生って、当たり前のようにいたよなぁ)。最近じゃあ雀の子たちも先生のいうことなんて聞かないもんだから、白鷺に指導を委託しているのかな?「はーい、みんな静かにして〜。今日は魚の捕り方です。」「先生っ。雀は魚なんて食べませ〜ん。」「へっ?そ、そうか?じゃぁ何を食うんだ?」「今の季節、やっぱりお米かな」「お米かぁ〜。あれはぱさぱさしてまずいぞ」「えーっ。ほんとは食ったことないんだろっ」「こほんっ。今日は自習にしま〜す。」

島崎藤村(5)



  狐のわざ

庭にかくるゝ小狐の
人なきときに夜いでて
秋の葡萄の樹の影に
しのびてぬすむつゆのふさ

恋は狐にあらねども
君は葡萄にあらねども
人しれずこそ忍びいで
君をぬすめる吾心

日々の戒め(43)



健康も喜悦も、愛着の対象も、みずみずしい感情も、記憶力も、死後との能力も−何もかもがわれわれを見捨てて、太陽も冷えはて、人生がそいっさいの魅力を失ったと感ずるとき、われわれはいったいどうしたらいいのだろう。もはやなんの希望もなくなったとき、どうしたらいいのだろう?自分の心を麻痺させたらいいのだろうか。それとも石のように冷たくしたらいいのだろうか?答えはいつもただ一つ、自分の意思を神の意思に合流させることである。良心が平穏で、己の置かれた立場に安らぎを感じさえすれば、何がどうなろうといいではないか!君は当然あるべき君でありさえすればよい。−あとはすべて神の領分である。もし万一神の愛というものがなく、あるのは万有の法則だけだとしても、やっぱり人間としての義務こそ、すべての秘密を解く鍵である。(アミエル)

私は恐れる、暗闇に潜む亡霊を。



私は恐れる、
暗闇に潜む亡霊を。

暗い窓ガラスに映る、
不気味な顔。
きしむ廊下に佇む、
青白い影。
あるいは、
背後にせまる、
何者かの気配。

闇にひそむ者たちを
私は恐れる。

そして、それらの本質は、
私の肉に染みついた、
憎しみ、欲望、
妬み、怒り、
そうしたものであることを、
私は知っている。

鏡が映す私の肉はどうだ。
その眼には、
憎悪の光が満ちているはずだ。
その口元は、
卑屈にゆがんでいるはずだ。
その額には、
背信の皺が刻まれているはずだ。

そして、その顔は、
孤独地獄に堕ちた亡霊の顔だ。
変わりようもない
私の顔だ。

島崎藤村(4)



  君がこゝろは

君がこゝろは蟋蟀の
風にさそはれ鳴くごとく
朝影清き花草に
惜しき涙をそゝぐらむ

それかきならす玉琴の
一つの糸のさはりさへ
君がこゝろにかぎりなき
しらべとこそはきこゆめれ

あゝなどかくは触れやすき
君が優しき心もて
かくばかりなる吾こひに
触れたまはぬぞ恨みなる

日々の戒め(42)



人は深く内省すればするほど、自分自身がつまらぬものに思われてくるものである。それが叡智に至る最初の一歩である。賢くなるために、まず謙虚になろうではないか。自分の弱さを知ろうではないか。そうすればそれがわれわれに力を与えるであろう。
(チャンニング)

彼岸花


photo by yoshihiro ohmura

彼岸花 

今日は空気も澄んで、
空には、吹き流された雲、
幾筋か広がり、
陽光は幾分その力を失い、
風が私に何かを伝えようとする。

足下には彼岸花のひと群、
業深き人間の血が、
暗き地中に凝縮されて、
昇華され、
根に染み通り、
維管束を登り、
花に至って赤く結晶している。

哀しみを含んだ風が、
花を揺らす。

コレガオマエカ
コレガオマエカ

コノヨニイキテ
モガクバカリノ
コレガオマエカ

風が花を揺らす。

ゆらゆら、ゆらゆらと
花は揺れるばかり。
 
兎も角も、
私は歩き出さねばならない。

新通り(旧東海道)



この道は旧東海道で、まっすぐ進むと駿府の街を後にして安倍川へと通じます。このいっぽん北側が本通で、元々は東海道というとそちらでしたが、バイパスとしてこの新通りが多く使われるようになったそうです。駿府の街に入るには、清水方面(東)から伝馬町の通りをすすみます。今の御幸町の大きな交差点あたりを西にいくと呉服町通りに出ますが、このあたりが江戸の頃も商店が建ち並ぶ賑やかなとおりだったようです。更に呉服町通りを北に進むと伊勢丹のあたりに高札場がありました。そこから西に行くと七間町通りで、やはり商店が建ち並ぶ賑やかな通りでした。この通りをずっと西に進むとお寺が建ち並ぶ寺町通りに突き当たりました。現在の昭和通り、映画館街を越したあたりです。(今ではお寺は移転させられて通りがずっと西に延びていますが…)。寺町通りを北に進むと、写真のここに出ます。左に折れると(写真の奥へすすむと)安倍川へ、そして右に折れてずっと進むと青汁スタンドへ出ます(最後はそれか、長かった…)。

島崎藤村(3)


photo by yoshihiro ohmura

  髪を洗へば

髪を洗へば紫の
小草のまへに色みえて
足をあぐれば花鳥の
われに随ふ風情あり

目にながむれば彩雲の
まきてはひらく絵巻物
手にとる酒は美酒の
若き愁をたゝふめり

耳をたつれば歌神の
きたりて玉の簫を吹き
口をひらけばうたびとの
一ふしわれはこひうたふ

あゝかくまでにあやしくも
熱きこゝろのわれなれど
われをし君のこひしたふ
その涙にはおよばじな