宮沢賢治(7)



  冬と銀河ステーシヨン


そらにはちりのやうに小鳥がとび
かげろふや青いギリシヤ文字は
せはしく野はらの雪に燃えます
パツセン大街道のひのきからは
凍つたしづくが燦々と降り
銀河ステーシヨンの遠方シグナルも
けさはまつ赤に澱んでゐます
川はどんどん氷を流してゐるのに
みんなは生ゴムの長靴をはき
狐や犬の毛皮を着て
陶器の露店をひやかしたり
ぶらさがつた章魚を品さだめしたりする
あのにぎやかな土沢の冬の市日です
(はんの木とまばゆい雲のアルコホル
 あすこにやどりぎの黄金のゴールが
 さめざめとしてひかつてもいい)
あゝ Josef Pasternack の指揮する
この冬の銀河軽便鉄道は
幾重のあえかな氷をくぐり
(でんしんばしらの赤い碍子と松の森)
にせものの金のメタルをぶらさげて
茶いろの瞳をりんと張り
つめたく青らむ天椀の下
うららかな雪の台地を急ぐもの
(窓のガラスの氷の羊歯は
 だんだん白い湯気にかはる)
パツセン大街道のひのきから
しづくは燃えていちめんに降り
はねあがる青い枝や
紅玉やトパースまたいろいろのスペクトルや
もうまるで市場のやうな盛んな取引です

日々の戒め(37)



財産を失ったのは−いくらか失ったことだ。
気を取り直して、
新たなものを得なければならない。
名誉を失ったのは−多くを失ったことだ。
名声を獲得しなければならない。
そうすれば、人々が考え直すだろう。
勇気を失ったのは、全てを失ったことだ。
生まれなかった方が良かっただろう。
(ゲーテ)

せんべいの高はし屋



七間町通りと昭和通りが交差するところ、大きなスクランブル交差点があり、周囲には映画館が集中しています。この交差点の南西の角に高はし屋があります。創業90余年の老舗です(創業100年とも…。老舗であることは間違いないようです)。建物も年季が入っています(建築当初はりっぱだったろうなぁ)。屋上に庭園も備えています。木々の緑は見る人に安らぎを与えてくれますが、もう少し手入れをしたら一層効果が期待できるのではないでしょうか。肝心なせんべいですが、まだ食べたことがありません。家計が火の車なので、いつも一袋100円の安物で我慢しています。せんべいは大好きです。右隣は「天文本店」で、やっぱり創業100年以上の老舗のてんぷら屋さんです。

宮沢賢治(6)



 春と修羅
    (mental sketch modified)


心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲模様
(正午の管楽よりもしげく
 琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)
砕ける雲の眼路をかぎり
 れいろうの天の海には
  聖玻璃の風が行き交ひ
   ZYPRESSEN 春のいちれつ
    くろぐろと光素を吸ひ
     その暗い脚並からは
      天山の雪の稜さへひかるのに
      (かげろふの波と白い偏光)
      まことのことばはうしなはれ
     雲はちぎれてそらをとぶ
    ああかがやきの四月の底を
   はぎしり燃えてゆききする
  おれはひとりの修羅なのだ
  (玉髄の雲がながれて
   どこで啼くその春の鳥)
  日輪青くかげろへば
    修羅は樹林に交響し
     陥りくらむ天の椀から
      黒い木の群落が延び
       その枝はかなしくしげり
      すべて二重の風景を
     喪神の森の梢から
    ひらめいてとびたつからす
    (気層いよいよすみわたり
     ひのきもしんと天に立つころ)
草地の黄金をすぎてくるもの
ことなくひとのかたちのもの
けらをまとひおれを見るその農夫
ほんたうにおれが見えるのか
まばゆい気圏の海のそこに
(かなしみは青々ふかく)
ZYPRESSEN しづかにゆすれ
鳥はまた青ぞらを截る
(まことのことばはここになく
 修羅のなみだはつちにふる)

あたらしくそらに息つけば
ほの白く肺はちぢまり
(このからだそらのみぢんにちらばれ)
いてふのこずゑまたひかり
ZYPRESSEN いよいよ黒く
雲の火ばなは降りそそぐ

日々の戒め(36)



真理の探究の始まるところ、そこには必ず生命が始まる。
真理の探究が止むや否や、生命も終わりを告げる。
(ジョン・ラスキン)

七間町 札の辻



県庁前を西に行くと呉服町通りと七間町通りが交差する四つ角に出ます。駿府城大手門の先で街の中心であったことから、かつてはここに高札場があり、札の辻と呼ばれていました。今は、石碑がその名を残すばかりです。石碑になるということは、もうかなり忘れられているということで、若い人などは、知らない人の方が圧倒的に多いんじゃないかなぁ。写真で見ると、右隅に写っている自転車の人の向こう側に小さく縦に細長くかすかに見えるのが石碑です。その石碑の奥の方へ行くと七間町。左隅に写っている自転車が向かっているのが呉服町。札の辻っていい名前だから、もっといろんなところで使えばいいのに、と思います。札之辻町というのもかつてはあったのが、なくなってしまいました。

宮沢賢治(5)


photo by yoshihiro ohmura

  無声慟哭


こんなにみんなにみまもられながら
おまへはまだここでくるしまなければならないか
ああ巨きな信のちからからことさらにはなれ
また純粋やちひさな徳性のかずをうしなひ
わたくしが青ぐらい修羅をあるいてゐるとき
おまへはじぶんにさだめられたみちを
ひとりさびしく往かうとするか
信仰を一つにするたつたひとりのみちづれのわたくしが
あかるくつめたい精進のみちからかなしくつかれてゐて
毒草や蛍光菌のくらい野原をただよふとき
おまへはひとりどこへ行かうとするのだ
  (おら おかないふうしてらべ)
何といふあきらめたやうな悲痛なわらひやうをしながら
またわたくしのどんなちひさな表情も
けつして見遁さないやうにしながら
おまへはけなげに母に訊くのだ
  (うんにや ずゐぶん立派だぢやい
   けふはほんとに立派だぢやい)
ほんたうにさうだ
髪だつていつそうくろいし
まるでこどもの苹果の頬だ
どうかきれいな頬をして
あたらしく天にうまれてくれ
   《それでもからだくさえがべ?》
   《うんにや いつかう》
ほんたうにそんなことはない
かへつてここはなつののはらの
ちひさな白い花の匂でいつぱいだから
ただわたくしはそれをいま言へないのだ
   (わたくしは修羅をあるいてゐるのだから)
わたくしのかなしさうな眼をしてゐるのは
わたくしのふたつのこころをみつめてゐるためだ
ああそんなに
かなしく眼をそらしてはいけない

日々の戒め(35)



自分自身をなくしさえせねば、
どんな生活を送るもよい。
すべてを失ってもいい、
自分のあるところのものであれば。
(ゲーテ)

七間町 静岡銀座街



街の風景は、毎日見ているとあまり変わり映えしませんが、何かの拍子にふと気が付くと以前と大きく変わっていたという思いをよくします。変化は日常の中で少しずつ進行しています。両替町通りと七間町通りが交差するところに、「静岡銀座街」はあります。小さな店が十店くらい集まった一角で、アーケードの上の雨で汚れが浮き上がった外壁にその名が刻まれています。昭和30年代に出来てから、入居している店は変わっても、ずっと交差点の風景としてあり続けています。普段は気が付かず通り過ぎてしまいますが、この外壁に刻まれた文字は、ふと気が付くと、「ああ、変わっていなかったんだ」と、何か安心にも似た気持ちになります。

宮沢賢治(4)


photo by yoshihiro ohmura

 松の針


  さつきのみぞれをとつてきた
  あのきれいな松のえだだよ
おお おまへはまるでとびつくやうに
そのみどりの葉にあつい頬をあてる
そんな植物性の青い針のなかに
はげしく頬を刺させることは
むさぼるやうにさへすることは
どんなにわたくしたちをおどろかすことか
そんなにまでもおまへは林へ行きたかつたのだ
おまへがあんなにねつに燃され
あせやいたみでもだえてゐるとき
わたくしは日のてるとこでたのしくはたらいたり
ほかのひとのことをかんがへながら森をあるいてゐた
   《ああいい さつぱりした
    まるで林のながさ来たよだ》
鳥のやうに栗鼠のやうに
おまへは林をしたつてゐた
どんなにわたくしがうらやましかつたらう
ああけふのうちにとほくへさらうとするいもうとよ
ほんたうにおまへはひとりでいかうとするか
わたくしにいつしよに行けとたのんでくれ
泣いてわたくしにさう言つてくれ
  おまへの頬の けれども
  なんといふけふのうつくしさよ
  わたくしは緑のかやのうへにも
  この新鮮な松のえだをおかう
  いまに雫もおちるだらうし
  そら
  さはやかな
  terpentine (ターペンテイン)の匂もするだらう